UNHCR駐日事務所で「UNHCR難民映画祭」の企画・運営を担当しています。「UNHCR難民映画祭」は、一人でも多くの方に難民について知ってもらう機会として、2006年から毎年開催しているイベントです。主な業務は、上映作品の選定、権利元との交渉、日本語字幕版の制作といったコンテンツの準備から上映会場との調整、広報物の制作などで多岐に渡ります。
緊急医療・人道援助を専門とする国際NGOで活動してきた経験と、日本の映画配給会社でドキュメンタリー映画の宣伝をした経験が結びついています。
去年もそのNGOを通じてソマリアへ行き、首都モガディシュで栄養失調の乳幼児を受け入れる病院のプロジェクトで人事および財務管理を担当しました。治安が悪いため、行動範囲は居住スペースが併設された病院の敷地内に限られており、銃声や爆破音が聞こえない日はないような状況で活動していました。私が滞在していた去年の12月から今年の3月にかけて、情勢は以前に比べれば安定しつつありました。しかし、氏族間の争いや干ばつ、近隣諸国や国際社会を巻き込んだ形で未だに解決していない内戦によって発生した多くの難民や国内避難民のことを考えると継続した支援の必要性を感じました。
世界中で起きている様々な人道危機は、関わっている者だけの問題ではなく、全ての人にとっての問題です。どこか遠い国の出来事かもしれないけれど、そこで苦しんでいるのは同じ人間だということを伝える最も有効な手段は映像だと信じています。
映画を観た人がそこで起きている問題を自分の事として心を痛め、共感して欲しい― 難民映画祭がそんな機会を提供出来たらと願っています。
約半年かけて、難民映画祭に向けてひらすら準備をします。だからこそ会期中の約十日間は私にとって毎日が特別です。特に初日のオープニング上映、会場が観客で埋まった時、あるいはメディアの関心の高まりを感じる時は嬉しいものです。作品一本一本に込められたもの(作品に込められた人の思い、人が背負っているもの、失ったもの)を観る人が受け止め、笑い、泣き、その重みを共有してくれているとわかる瞬間は、その作品を上映して良かったと感じます。
より質の高い作品に出会うためにも、今現実の世界で起こっていることに常にアンテナを張っていたいです。あるいは常に現場にたつジャーナリストや映像作家、人道援助関係者とのネットワークを強化し、情報に敏感でいたいと思います。また、映像メディアの発展はとても早いので、テクニカルな知識を深める努力続けていきたいです。それと同時に、これからも私自身が人道援助の現場に立ち続けたいと考えています。
フランソワ・トリュフォー監督の映画「大人は判ってくれない」は大好きな作品です。大事なものが全てこの映画につまっていると感じます。
難民映画祭を通じて、ぜひ世界の現実に目を向けてください。様々な危機の中で迫害を受け、生命を脅かされながらも希望を持ち続ける人々の姿に心を揺さぶられてください。
私たちは無力ではない―自分にできることは何か、映画祭には必ずそのヒントがあります。
<プロフィール>
1973年東京生まれ。1999年から2007年まで緊急医療・人道援助を専門とする国際NGOの事務局職員および現地アドミニストレーターとしてミャンマー、ネパール、スリランカなどのプロジェクトに従事。2007年より2年間、日本の映画配給会社勤務を経て2009年よりUNHCR難民映画祭を担当する傍ら、2010年にはハイチ、2013年にはソマリアにおけるNGOの医療援助活動にも参加。