© UNHCR Japan
「社会はきっと変えることができる、そう信じているから、前に進むことができるんです」
そう力強く話すのは、シリア出身のマスリさん。昨年の春から、早稲田大学アジア太平洋研究科の博士課程で学んでいる大学院生です。
マスリさんは、シリア中部のホムス出身。紛争が始まる前は、大学の修士課程で教育学を専攻しながら、地域の子どもたちに英語を教えていました。
しかし、2011年3月にシリアで紛争が始まり、彼の人生は一変します。
「私の故郷はとても美しい街でしたが、その姿はすっかり壊されてしまいました。地元の市場が爆撃された時のこと、恐怖におびえながら子どもたちと地下室で授業をしたこと、今でも鮮明に覚えています」
2013年、マスリさんは、安全を求めてシリアを離れる決断をします。食べ物も水もなく、4、5日歩き続け、その間も頭上を戦闘機が飛んでいました。「日本では難民は、あまりいい意味でとらえられていませんが、私たちにとって、それが唯一の選択肢。生き残るためには、それしか道がなかったのです」。
そうして、マスリさんがたどり着いたのは隣国のレバノン。自身の教育分野での知識と経験を生かし、いくつかのNGOで、難民に対する教育プログラムの構築に従事しました。そんな時に出会ったのが、第二次世界大戦後の日本人を描いた本『敗北を抱きしめて』でした。
「日本の復興、和解、経済改革などの経験についてくわしく知ることができ、紛争で国が壊れていったシリア人として、とても共感できる内容でした。日本は“敗北”から“未来”をつくっていったのだと、一歩進む勇気を与えてくれました」
レバノンでの仕事は充実していました。でも、平和と紛争について、日本でもっと学んでみたい―。そう考えたマスリさんを導いたのが、JICAが実施するシリア難民に対する人材育成事業「シリア平和への架け橋・人材育成プログラム(Japanese Initiative for the future of Syrian Refugees:JISR(ジスル))」でした。
JISRに応募したマスリさんの面接を担当し、のちに担当教官となったのは、東京外国語大学の松永泰行教授。「他の候補者に比べて年齢も上で、職務経験もあり、物事に関する洞察力も深かった。彼にとって、日本での学びは、必ず将来に生きるものになると思いました」と話します。
家族とともに来日を果たし、マスリさんの日本での新たな生活が始まりました。
マスリさんが入学したのは、東京外国語大学国際学研究科のPeace and Conflict Studiesコース。自身の専攻の学びを深めるうえで、日本に来たら、どうしても足を運んでみたい場所がありました。それが広島です。
「最初に広島の平和記念公園に足を踏み入れた時のことは忘れません。そこにあったのは、自分が想像していたのとまったく違う光景。私はこれを伝えないといけない、そう強く思いました」
映像製作が趣味でもあったマスリさんは、同じく日本に学びに来たシリア出身の仲間と協力して、ドキュメンタリー映画をつくることに決めました。広島に何度も足を運び、地元の人々にインタビューを行い、完成したのが『日本:灰と瓦礫からの復活』です。
「国が破壊されても、街がすべてがれきとなっても、社会がひとつになれば、いつかは再建できる、チャンスは必ずあるという希望を、シリアの人々に伝えたいと思いました」
2作目として、東日本大震災後の陸前高田市について描いたドキュメンタリーも製作。マスリさんの理念に共感した教員と学生のイニシアティブで、この2本のドキュメンタリーは日本語字幕付きで、東京外国語大学で上映会も行われました。
東京外国語大学で留学生を担当する特定研究員の石田理恵さんは、「マスリさんと出会って3、4年になりますが、最初は思い通りにいかないことも多く、日本での生活に葛藤している様子でした。でも自分で何とかしなくてはならないと、その責任感の強さは並大抵ではありませんでした」と振り返ります。「彼が作った2本のドキュメンタリーは、そんな彼の経験に学問を通じて得た視点が加わってできた、素晴らしい作品だと思います」。
東京外国語大学では修士号を取得したマスリさんは、シリアの紛争と帰還の可能性について研究をさらに進めたいと、博士課程への進学考えました。「日本の大学で興味のあるプログラムはたくさんあったのですが、金銭的にも厳しく、どうしようかと悩んでいた時に、UNHCRの奨学金プログラムについて知りました」。迷わず応募し、「UNHCR難民高等教育プログラム(Refugee Higher Education Program – RHEP)」を通じて、2022年4月に早稲田大学の博士課程に入学しました。
現在、マスリさんは大学院生活を送りながら、インターナショナルスクールの子どもたちに英語を教える仕事もしています。映像製作でも新たなテーマに取り組みたいと模索中です。
「この先どうなるかは分かりませんし、毎日のように、妻や子どもたちとも話し合っています。ただひとつ言えるのは、いつかシリアの情勢が安定したら、故郷に貢献できることがしたい。その一心で、懸命に前を向いています」