2021年UNHCRナンセン難民賞アジア地域賞を受賞した産婦人科医のサリーマ・レイマン医師。故郷を追われた少女たちの教育の推進、パキスタンでの新型コロナウイルス対応への貢献が評価されました。
今から20年前、パキスタンの首都イスラマバードの西、アトックの小学校に通っていた難民の少女、サリーマ・レイマン。医師になった彼女は現在29歳、白衣を着て母校の教壇に立ち、約30人の難民の少女たちを前に笑顔で尋ねます。
「お医者さんになりたい人?」
教室からたくさんの手が挙がります。「医者は本当に素敵な夢です。一生懸命勉強して、絶対にあきらめないでください」と語り掛けます。
サリーマ自身も子どものころから、医師なりたいと強い信念を持っていました。家族からは“ドクター・サリーマ”と呼ばれていたほどです。
そのニックネームの背景には、サリーマ自身の壮絶な誕生のストーリーがあります。サリーマはパキスタンのハイバル・パフトゥンハー州スワビにある難民キャンプで誕生。サリーマの母親は十分な医療サービスを受けることができず、サリーマも長く生きることができないと思われていました。
父親のアブドゥルは誓っていました。もしこの赤ちゃんが生き延びることができたら、きちんと教育を受けさせ医者になってもらいたいと。
アブドゥルはその誓いを守り、“女子が家の外、結婚以外に野望を持つなんて”とコミュニティで批判されながらも、娘の教育をサポートし続けました。
「学校で周りを見ると私は唯一の女子でした」。サリーマは振り返ります。「女の子を学校に通わせるという父の決断に、どれだけ周りの人たちが反対していたかを覚えています。このコミュニティの少女たちが夢を見てもいいのだと証明できるよう、自分が一人前になることがどんなに重要かを感じた時です」。
サリーマは今年はじめ、アトックで自分のクリニックを開業しました。医療へのアクセスが十分ない難民や地元の女性たちの助けになりたいという、長年の夢を実現したのです。文化的な慣習を乗り越えただけでなく、長年にわたる勉強と献身の積み重ねがあったからです。
そしてこれまで、難民であるということも壁となってきました。
「子どものころは、自分が難民だということは意識していませんでした。でも、同級生が大学への進学が決まったのに、私は難民だからという理由でかなわなかった。そこから、それがどういうことかを知るようになりました」
サリーマはパキスタン・パンジャブ州の大学の医学部で学ぶために、年間わずか1 人の難民の入学枠を得るまで2年にわたり出願し続けました。そしてのちに、同じくパンジャブ州のラーワルピンディーの病院での研修医が決まり、婦人科を専門とすることにしました。
2020年、婦人科の研修医としての最後の年に、勤務していた病院が新型コロナウイルス対応病院となりました。まさに彼女は最前線で、コロナに感染した妊婦の治療などにあたりました。患者の多くは日雇い労働で働き、フィジカルディスタンスをとることが難しく感染してしまった難民や地元の人たちでした。
サリーマはずっと、いつか自分のクリニックを開業し、コミュニティで最も医療を必要とする人に無料でサービスしたいという夢を抱いていました。しかしここでもまた、難民であることが壁になりました。2015年に医学部を卒業しても医師の資格取得が難しかったのですが、ついに彼女の信念が報われる日がやってきました。
「資格が取れるまで、何度も何度も申請しました。専門の医師になるために、教育を受け、研修を何年もして、2021年1月についに取得できたのです。私の人生のターニングポイントでした」
彼女は今年6月にアトックにクリニックを開業し、多くの難民の患者を診察しています。
「このクリニックができたことは、私たちにとって本当にうれしい出来事でした」。サリーマの患者のアフガン難民の一人、アニラは話します。「多くのアフガン人は高い医療費を支払う余裕がありませんが、サリーマ先生が私たちを助けてくれます。もっと多くの少女たちが勉強し、医者になってほしいと思います」。サリーマのクリニックがなければ一番近い病院まで遠く、通訳してくれる人も必要になるといいます。
サリーマは自分のクリニックで衛生習慣の指導もしており、新型コロナウイルスのワクチンに関する“作り話”の払拭にも取り組んでいます。みんなが安全になるまで誰も安全ではない―。サリーマは、パキスタン政府による新型コロナウイルスの接種の対象に難民も含める取り組みを歓迎しています。
サリーマの物語による変化はまだあります。コミュニティで女の子の教育に強く反対していた人のなかから、サリーマに、妻、姉や妹、娘たちへの医療アドバイスを求めている人も出てきたのです。サリーマの後に続いてほしいと、自分の娘たちを学校に通わせている人も多くいます。
UNHCRパキスタン代表の吉田典古は「彼女は開拓者です。コミュニティで最初の女性の医師になることで、あらゆる困難を打ち破りました。最も弱い立場にいる人々、難民にもパキスタン人にも同様に医療を提供するという夢をかなえ、女性がコミュニティの社会経済的発展にどれだけ貢献できるかということを身をもって証明しました」と話します。
サリーマは自身のコミュニティ、そしてパキスタンで最も貧しい人々への貢献が評価され、今年のナンセン難民賞のアジア地域賞を受賞。故郷を追われた人や無国籍者への支援をたたえる名誉ある賞。女性や少女のロールモデルとして、コロナ禍でも患者たちに献身的な治療を続けているという点も共感を呼びました。
「女の子でも、機会があればなんでも実現できることを証明したい」とサリーマ。「パキスタンでもどこでも、私は心から人のためになることがしたいのです」。
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