© UNHCR/Ko Sasaki
世界各地で故郷を追われた8,240万人の代表としての確固たる信念、決してあきらめない姿は、メダルを獲得できずとも世界中の聴衆の心に響きました。
2021年夏、他のアスリートとはまた違う困難を乗り越え、世界の舞台に立ったオリンピック難民選手団の東京での挑戦が終わりました。
「金メダルを取ることはできませんでしたが、難民選手団は人々の心をつかんだと思います」。2016年リオ五輪の難民選手団のメンバーであり、今大会で難民アスリート代表を務めたピュール・ビエルUNHCR親善大使はそう話します。「選手たちはみな、自分はもうオリンピアンなのだと自覚しています。オリンピアンという称号は本当に名誉なことです」。
8月8日に閉会式を迎えた東京2020オリンピック競技大会では、11カ国の代表から成る難民選手団29人が12競技に出場し、世界最高峰の舞台で誇りを持って戦いました。難民アスリートたちは、他の国の選手と並んで、自分の能力を発揮し、価値ある経験ができたことをうれしく思っています。
「難民だからといって、他の人と同じことができなくなるわけではない。難民は単なる“状況”なのですから」と、南スーダン出身の陸上選手、女子800メートルで自己ベストを出したローズ・ナティケ・ロコ二エン選手は話します。
今大会では、ローズ選手以外にも、難民選手団から3人が自己ベストを出しました。アンジェリーナ・ナダイ・ロハリス選手(陸上女子1,500メートル)、ジャマール・アブデルマジ・イーサ・モハメド選手(陸上男子5,000メートル)、ドリアン・ケレテラ選手(陸上男子100メートル)です。
レスリング男子グレコローマンスタイル67キロ級に出場したアケル・アル・オバイディ選手は8位入賞を果たし、男子マラソンのタクロウィニ・ガブリエソ選手は厳しい気象条件でも16位でフィニッシュしました。
残念な結果に終わった選手もいます。でも、一人ひとりのアスリートの強さが光りました。今大会でそれぞれがぶつかった壁は、彼らがこれまでの人生で経験してきた困難と似ているとピュールは話します。たとえば、男子800メートルのジェームス・ニャン・チェンジェック選手はレース中に転倒しましたが、すぐに立ち上がり、先頭集団を懸命に追いました。
「アスリートはなにがあっても、立ち上がってゴールを目指すものです」とピュール選手。今大会では、試合で負けたり、思うような結果が出なかった選手を励ますことに徹したといいます。「スポーツでは、負けを認めることも大切です。そうすれば、次に向けてもっと強くなれる。難民アスリートたちには、今日はうまくいかなくても、明日はきっといい日になると、伝えるようにしていました」
オリンピックの舞台に立つだけでも、難民アスリートにとっては偉業です。紛争や迫害により故郷を追われ、難民キャンプなどで暮らし、新しい国や文化でさまざまな困難に直面するなかでそう簡単に成し遂げられることではありません。
難民であることは、アスリートとして不利なこともあります。難民という立場では国境を越える移動に制限があり、世界レベルの選手たちが集まる合宿や国際大会への参加がかなわないこともあります。
「7年以上も国際大会に出場できずにいましたが、オリンピックで戦うことができ、まるで“生き返った”ようです」。カメルーン出身の重量挙げ選手、現在はイギリスで精神科看護師としても働くシリル・ファガト・チャチェット2世選手は話します。
「オリンピック出場が決まって、自分の中で気持ち的にも確実に変化を感じましたし、ただトレーニングに打ち込みました」とシリル選手。合計350キロを持ち上げ10位に食い込みました。「世界のトップレベルと戦うことはモチベーションにもつながりますし、すでに2024年のパリ五輪を見ています」。
難民選手団として五輪旗を掲げて戦った難民アスリートたちは、なにひとつとして、特別なことを必要としていたわけではありません。「ほかのアスリートと同じようにトレーニングし、競技ができること。ベストを尽くして戦えることだけです」と、難民選手団に帯同したUNHCR職員のスティーブン・パティソンは話します。
競技という枠を超えて、難民アスリートたちは世界で故郷を追われた難民たちの代表として、より大きな役割を担っていました。2016年リオ五輪の時は6,500万人だった強制移動の数は、今日では8,200万人を超えています。
シリア出身の競泳選手、ユスラ・マルディニ選手は、難民を代表して出場できたことを本当に誇りに思うと、自身のインスタグラムで感謝を伝えています。「私は自分が好きなことを通じて、すべての難民たちに希望のメッセージを届けたかった。難民であっても、簡単にあきらめなければ、困難な旅路を経ても夢を持ち続けられるのです」と投稿しています。
今回のオリンピックでは、希望をもたらす世界共通の “スポーツのチカラ”が注目されました。UNHCR本部で難民とスポーツを担当するニック・ソアは、スポーツは世界中の難民の若者の気持ちを高める重要な役割を果たしていると話します。
ある日突然、故郷を追われた子どもや若者が直面する困難は、とても簡単に表現できるものではありません。その後、多くが数年にわたって避難生活をおくることになり、フォーマル教育を続けることができるのは学齢期の難民の半分の以下、学びや個人的な成長の機会は確実に足りていません。
「スポーツの機会は、若い世代の難民たちに、それぞれの人生での成長、日常を取り戻してくれる」とソアは強調します。「難民選手団はまさに、人生に不可能なことなんてない、世界のほかの若者たちと同じように、スポーツを通じて、難民も夢を実現できるんだということを体現しています」。
南スーダンの紛争から逃れ、ケニアのカクマ難民キャンプで育ったピュール選手は、希望こそが難民の若者に重要なのだと訴えます。スポーツは自信に、サッカーから陸上に転向した経験から、自己鍛錬や達成感にもつながると話します。「難民の多くは肩身の狭い思いをしているかもしれない。でもそんなふうに思う必要なんてないのです」。ピュール選手はオリンピック難民財団(ORF)の理事も務めています。
2016年リオ五輪で初めて国際オリンピック委員会(IOC)がUNHCRの協力のもと立ち上げたオリンピック難民選手団は、自分の意志とは関係なく、故郷から追われた才能ある若者たちの希望です。紛争や迫害によって自国を追われた難民アスリートは、自国の選手として参加することは普通は選択できません。また、別の国で庇護を求めても多くがまだ帰化しておらず、その手続きは数年かかります。
東京の開会式で五輪旗を運んだ6人のアスリートの一人にシリル選手が選ばれたことには、大きな意味があります。難民に対する世界の意識が高まっていることを示しているからです。「本当に光栄でしたし、難民への希望と連帯のメッセージを広く伝えることができたと思います」とシリル選手は話します。
ピュール選手は、10人の難民選手団が参加した2016年リオ五輪の時よりも、東京オリンピック選手村周辺では、多くの人が難民選手団のことを知っているように感じたといいます。(そしてピュール選手が驚き、うれしかったのが、いろいろな国の食事が準備されていて、ケニアの主食チャパティもあったこと!)
8月24日~9月5日に行われる東京2020パラリンピック競技大会では、6人の難民アスリーが4競技で戦います。ピュール選手は、パラリンピックの難民アスリートたちにメッセージをおくります。「あとはすべてのあなたの覚悟です。障がいのあるなし、出身にかかわらず、若い世代への道をあなたたちがつくるのです」。
世界中の故郷を追われた人々に希望と生き抜くチカラを届け、すべての難民のより良い未来に向けたメッセージを発信するパラリンピック難民選手団にもご注目ください!
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