UNHCRレバノン代表 伊藤礼樹
私が前任地のダマスカスからベイルートに異動し、UNHCRレバノン代表として着任したのは、シリア危機から10年、世界にとって“恥ずべき節目”を迎える数週間前でした。私は以前にもレバノンで勤務していたことがあり、その時のことを思い出しながら、難民、レバノンの人々にとって現状がいかに困難なものなのか、想いをめぐらせています。
前回レバノンで働いていたのは、この国が2006年7月のレバノン侵攻の影響から復興を進めている時でした。UNHCRは、国内で避難を強いられた家族、そしてイラン、スーダン、その他近隣国から逃れてきた約1万人の難民を支援していました。
そして私は、2010年3月にレバノンを離れました。その時は、私の人生の間に、そしてわずか1年後に、ここまで大きな人道危機が始まるなんて想像もしていませんでした。
現在、世界で8,000万人を超える人々が故郷を追われています。そのうち6人に1人がシリア人です。この衝撃的な数字は、世界がこの最大級の人道危機の終結に失敗した、という恥ずべき証しであるともいえます。
レバノンで私たちは、この残酷な現実を前に、10年の節目を迎えました。この数十年の中で最悪の経済危機、急激なインフレ、そして新型コロナウイルスのパンデミック、公衆衛生の危機、2020年8月4日にベイルートで発生した大規模爆発・・・。さまざまな課題があります。
10年前、シリアの人々が最初にレバノンに保護を求めて逃れてきた時、自分の家族も、家も、学校も、仕事もすべて置いてきた人がほとんどでした。貯金だけを握りしめてきた人もいました。
数年たっても、彼らは避難生活を続けています。毎月の家賃、食費、医療費を賄うため、最初に持っていた貯金もあっという間に使い果たし、代わりに借金だけが積み重なっています。現在、10人中9人のシリア難民が極度の貧困状態にあり、最低賃金の半分以下、1人につき1カ月30万8,728レバノンポンド(約2万3,000円)での生活を余儀なくされています
10年がたち、難民の子ども、大人たちの生活はさらに困難になっており、難民の生きる力の限界を超えています。基本的なニーズを賄うために働く機会も限られ、子どもを学校に通い続けさせることもままならず、難民たちは物的・人的資源も使い果たしてしまっています。これが長期化した避難生活の結果です。想像してみてください。学校で学び続けることも、専門技術を磨くことも、そして普通の生活すらも送ることができず、帰還後の生活の備えもできなかったとしたら―。
実際に、シリア難民の精神面には深刻な影響がおよんでいます。昨年、UNHCRがレバノン国内に設置しているコールセンターでは、難民からの相談の数が急激に増えました。どう日々をやりくりし、生き抜いていけばいいのか分からない―。UNHCR職員にそう話しているといいます。
「死んでしまおうかと考えている。毎日毎日、日々を生き抜くことだけに必死になっている人生を続ける意味なんてあるのか」。繰り返しそんな声が聞かれます。
2020年、人生に絶望し追い詰められ、2人の難民が自ら命を絶ちました。自分の家族、小さな子どもを残し、残された彼らはなぜこんなことが起こったのか、この先もずっと問い続けていくことでしょう。本当につらく、胸が張り裂けそうな現実です。
でも、UNHCRは希望を失っていません。私もそうです。私たちはみな、希望を失ってはならないのです。これまで例にない厳しい状況の中で、すべてのコミュニティで、最も希望を必要とする人を助けるために、私たち一人ひとりが最善を尽くさなければなりません。
脆弱な立場にある難民、レバノン人コミュニティ、現地の機関やインフラを支援するために、もう何年も多くのことがなされてきましたが、急速に悪化するこの国の状況下では、決して十分とは言えません。
2011年以降、UNHCRはレバノン当局と連携しながら、この国で暮らすすべての人が公共サービスを適切にアクセスできるよう、国内の関連機関やインフラへの投資を行ってきました。最近では、UNHCRは13の病院の規模拡大を支援し、800床のベッド、新型コロナウイルスの患者用のICU100棟の設置を行い、昨年8月のベイルート港の爆発で破壊された1万1,500世帯の住居修復にも取り組みました。
UNHCRがレバノンにおいて、難民危機に対応・支援しながら常に念頭にあるのは、難民が自身の避難状況に対して長期的な解決策を見つけるためのアプローチです。誰一人として、何十年にもわたって難民であり続けてはならず、これこそが難民保護のゴールです。UNHCRは1950年の創設以来、世界の4,000万人以上の難民の自主帰還を支援してきました。帰還は単に国境を越えるだけではありません。故郷に戻って自身の生活を立て直し、日々の生活を安全に、避難の危険を感じずに生きることができる状況を実現することです。
私たちはこれまでの経験、レバノンのシリア難民への定期的な意向調査、強制移動に関する調査から、難民自身が感じる帰還に必要な要因に対処することが重要であることを認識しています。一貫して重要とされているのは、安全、治安、住まいの修繕、学校や病院など基本的サービスへのアクセス、自分で稼ぎ、帰還時に基本的な費用を自分で賄うための就労の機会です。
ただ貧困の中を生き抜くのでなく、故郷を追われている間にも学校に通うことができれば、自分のスキルなどを磨く機会にアクセスできれば、難民たちは故郷に戻り、紛争により荒廃した国においても、自身で人生を再建する強い能力を身に付けることができます。
私はレバノンに来る前、UNHCRシリアの代表を務めていました。ダマスカスで勤務している間はまさに、国内避難民、シリア国内、近隣国からの帰還民に対する支援拡大のさなかにありました。
シリアでは、UNHCRはコミュニティレベルで、国内避難民も国内からの帰還民も、脆弱な立場にあるレバノン人とのニーズと平等に、現行の人道支援を通じて支援しています。2020年、UNHCRによる家の修繕の第1段の支援を48万5,000人近くが受け、帰還民のコミュニティで損壊した32の学校が修繕され、約22万5,000人がプライマリへルスケアと心のケアを受けました。
UNHCRとパートナー団体は、シリア政府、その他ステークホルダーと連携しながら、難民たちが懸念する帰還の遅れにつながっている問題、安全への懸念、住まい、生計向上、基本的サービスへのアクセスなどについても対処し始めています。
第8代国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんから、10数年前に聞いた言葉があります。私はそれが強く記憶に残っており、世界各地の人道危機でのキャリアを重ねるにつれてさらに実感するのです。「人道的な問題に対する人道的な解決策はない」と。
2021年3月末、世界のリーダーが集まり「シリア及び地域の将来の支援に関する第5回ブリュッセル会合」が開催されました。私たちはこれまで以上に、レバノン人と難民の人道的ニーズへの対応はもちろん、難民の苦境への長期的な解決策につながる持続的支援に貢献するために、共に手を取り合わなければならない時にきています。
私はいま、シリア難民、レバノンの人々に伝えたいメッセージがあります。
私はここレバノンで、UNHCRがここまで大きな支援を行う必要のない状況が一番だと思っています。しかしニーズがある以上は、UNHCR職員すべてが、一人ひとりの苦しみをやわらげるためにできるすべてのことをする、そして、レバノン国内の脆弱な人々、レバノン人、難民を含めてすべての人が尊厳をもって生きられるよう、最善を尽くすことを約束します。
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