6月20日の「世界難民の日」に関連して、UNHCR駐日事務所が二子玉川 蔦屋家電で6月15日から23日にかけて開催した「PLACE OF HOPE 難民のものがたり展」。
初日は、本、写真、劇などのカルチャーをテーマに、さまざまなゲストを招き、親子向けのお話し会と3つのトークイベントを開催しました。
「ホンマタカシさんの写真でたどる”1億1千万分の1”の物語」のセッションに登檀したのは、日本写真界を代表する写真家のホンマタカシさん、そして日本国内で暮らす難民の背景を持つアナス・ヒジャゼィさんとスザンさんです。
ホンマさんがアナスさん、スザンさんの自宅で撮影した写真を見ながら、難民がたどる“旅路”について考えるこのイベント。この日のトークは、アナスさんとスザンさんが日本へたどり着くまでの物語を共有することからスタートしました。
内戦開始直後に父を失い、大学も爆撃に
「2011年3月にシリアで内戦が始まりました。数カ月後には、家を失いました」
イベントの冒頭、アナスさんは日本へたどり着くまでの自身のストーリーをゆっくりと語り始めました。
難民の背景を持つ2人の声に耳を傾けようと、満席の会場は静まり返りました。
一度はレバノンへと渡り、仕事を見つけたアナスさん。しかし、さまざまな差別も経験し、「ここは自分にとってのホームではない」と感じていたことを明かしました。
「生き残る」ことだけを最優先に考え、始まったレバノンでの生活は何よりも心理的に非常に苦しい状況だったといいます。
そんな中、ふとしたきっかけで見つけたJICAの「シリア平和への架け橋・人材育成プログラム(Japanese Initiative for the future of Syrian Refugees:JISR(ジスル)」を通じて2019年に来日。創価大学大学院を卒業後、現在はアクセンチュア株式会社で技術コンサルタントとして働いています。
この日登壇したもう一人のゲスト、スザンさんもアナスさんと同じくシリア出身です。
シリア紛争が始まってすぐに、スザンさんは父親を失いました。
自宅や通っていた大学は爆撃にあい、スザンさんは当時住んでいた街の中で7回の避難を経験しました。
そんなスザンさんは、2018年に一般財団法人パスウェイズ・ジャパンの日本語学校プログラムを通じて来日。その後、UNHCRの「難民高等教育プログラム(Refugee Higher Education Program – RHEP)」を通じて修士課程で学び、現在は国際関係学の博士課程に進んでいます。
また、パスウェイズ・ジャパンのプロジェクトオフィサーとしても活躍しており、自分と同じような背景で来日した学生のサポートや教育相談などを提供する日々を送っています。
「なるべく撮らない」ホンマさんが語る撮影の舞台裏
UNHCR駐日事務所のウェブサイト内に開設された2024年「世界難民の日」の特設ページを開くと、まず目に飛び込んでくるのは、写真家のホンマタカシさんがアナスさんの姿を捉えたメインビジュアルです。
UNHCR駐日事務所は「瀬戸内国際芸術祭2025」において、ホンマさんとコラボし、難民一人ひとりの物語や旅路に焦点を当てた展示を開催する予定です。今後、ホンマさんは国内外の難民支援の現場などを訪れ、展示に向けた撮影を行います。
2024年の「世界難民の日」では、こうしたプロジェクトに先駆けて、ホンマさんが難民の背景を持つアナスさんとスザンさんを撮影し、今回のトークイベントにつながりました。
ある日突然、それまでの生活のすべてを失い、家族や愛する人々と引き裂かれながらも日本へとたどり着いた2人は、さまざまな思いを胸に秘めながら、それでも前に進もうとしています。
そんな2人を、ホンマさんはどのようなことを考えながら撮影したのでしょうか。
ホンマさんは2人との撮影を振り返りながら、「写真って、難しい。簡単すぎて難しいんです」と語り、何かを撮影する際に常に意識している“あるポイント”を教えてくれました。
「そもそも僕は、何を撮るにしても『なるべく撮らない』ように気を付けています。誰かの家へ行って、パシャパシャパシャと適当にいっぱい写真を撮ることだってできます。でも、写真を撮るって常に暴力的になる可能性がある。だから、僕はなるべく撮る枚数を少なくし、被写体の方に圧を与えず、なるべく素早くということを心掛けているんです」
「これは相手が誰であっても同じです。だから今回も、僕から『こんなポーズの写真を撮りたい』といったことは一度もお願いしていないんです。今回はお二人のお話を聞きながら、勝手ながら自分は(難民問題について)何ができるか、どうしたら良いんだろうといったことを考えながら撮りました」
本棚にそっと置かれた香水、秘められた弟との記憶
続いて会場のスクリーンに映し出されたのは、アナスさんの部屋の本棚の写真でした。その写真には、漫画やアニメキャラクターのフィギュアなどと並んで、日本語を勉強するためのさまざまな教材が写り込んでいます。
アナスさんは「それぞれの日本語の教材を手に取ると、授業の風景や友達とのやりとり、新型コロナにともなう緊急事態宣言など、いろいろな思い出がよみがえります」と語りました。
モデレーターを務めた、国連UNHCR協会の国連難民サポーターの武村貴世子さんが、本棚の左端に置かれている香水の瓶について尋ねると、アナスさんはその香水の瓶にまつわるエピソードを語ってくれました。
「これは弟のハッサンが、まだ私がシリアにいた頃にプレゼントしてくれたものなんです。彼は当時、まだ幼くてお金をあまり持っていなかったのに、この香水を贈ってくれたんです」
「私がレバノンに逃れた直後、弟はアサド政権に逮捕されて1年間もの間、拷問を受けました。その後、弟は解放されて、今はドイツで暮らしています。この香水には、そんな弟に関するいろいろな思い出や記憶が詰まっています」
撮影時には触れられなかった香水にまつわるエピソードを聞き、ホンマさんはこう続けました。
「でも、僕は写真ってそれで良いと思うんですよ。そこにあるものをそのまま撮って。後でそれを見た人たちが、そこにエピソードや思い出をのせていく。いまアナスさんが教えてくれたようなことを知った上で、香水を強調するようなテクニックを使って撮るのは、僕はあまり好きではないんです」
「勉強を続けなさい」この世を去った母の教え
今回の撮影は、「故郷とのつながりを感じる大切なもちもの」をテーマに行われました。
スザンさんが「大切なもちもの」として紹介したのは、お母さんの生前の姿を記録した1枚の写真です。
お母さんは「ベストフレンド。世界で一番大事な人」と語るスザンさん。日ごろから「頑張って勉強を続けなさい。教育はパワーだ」と言い聞かせられてきたといいます。
スザンさんのお母さんは紛争が続く中、シリア国内でがんの治療を続けていました。しかし、新型コロナウイルス感染症の拡大により医療へのアクセスも制限され、がんが脳や脊髄にまで広がり、3年前にこの世を去りました。
スザンさんが暮らす日本の部屋の一角には、そんな大切なお母さんの写真がたくさんの花と一緒に飾られていました。
1億2,000万人を突破、一人ひとりのストーリーに思いを馳せて
紛争や迫害によって故郷を追われた難民や国内避難民などの数は、2024年5月時点で1億2,000万人に達しました。
その一人ひとりに、アナスさんやスザンさんがこの日、語ってくれたようなストーリーや思いがあります。
パネルトークの最後に、アナスさんとスザンさんは次のように投げ掛けました。
「少しでも安心して暮らしたい。でも、どうやって?いつも疑問に思います。もう少しだけ、相手のこと、相手の背景、気持ちを知ることが大切ではないでしょうか。難民の問題について知るのではなく、難民の背景を知ってほしい」
「僕は友達ができて、日本のイメージが変わりました。何か問題が起きたとしても、今は一人ではないと感じます。友達にならないと、インクルーシブな活動はできません。一緒に難民を助けてほしいです」(アナスさん)
「世界の難民が1億2,000万人を超える中で、人と人として、コミュニケーションすることが必要だと思います。本はたくさんのことを私たちに教えてくれます。興味がある人は、少しだけでも読んでみてください。私たちのような難民のことを理解できると思います」(スザンさん)
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