京都市内から特急で北に約1時間、日本海に面する港町、福井県敦賀市。2024年春の北陸新幹線延伸を控え、東京と北陸、関西を結ぶターミナル駅として、新たなまちづくりが積極的に進められています。
2022年11月、その敦賀市内にある「人道の港 敦賀ムゼウム」で、UNHCRのグローバルキャンペーン「難民を支える自治体ネットワーク」の署名式が行われました(関連記事はこちら)。
2018年にUNHCRが自治体との連携強化を目指して立ち上げたこのキャンペーンへの参加は、日本の中部地方の自治体としては初めて。署名式のあいさつで渕上隆信市長は、「“人道の港 敦賀”を掲げ、命や平和の大切さを発信してきた敦賀市にとって大きな一歩です」と力を込めました。
敦賀と人道―。その関わりの答えは、「人道の港 敦賀ムゼウム」にありました。
古くから国際港として発展してきた敦賀市は、1920年代にシベリアから救出されたポーランド孤児を、1940年代に外交官の杉原千畝が発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民を受け入れ、市民があたたかく迎え入れたという歴史があります。
故郷を離れざるを得なかった人々の“命のバトン”を、地域ぐるみでつないできたという誇り―
その遺産を後世に受け継いでいくために、2008年にオープンしたのが「人道の港 敦賀ムゼウム」でした。“ムゼウム”はポーランド語で「資料館」の意味。館内には、敦賀市の人々が難民を受け入れた歴史や現在に続く交流などが、写真や映像などを使って紹介されています。2020年には施設を拡大してリニューアルオープンし、 “人道の港”の発信地として、年間を通じて国内外から多くの人が訪れています。
この“人道”のキーワードは、敦賀市とUNHCRをつなぐきっかけとにもなりました。
「UNHCRといえば緒方貞子さん。その活動には以前から関心がありました」。そう話すのは敦賀市人道の港発信室の西川明徳室長。「ムゼウムを運営していくにあたって、外部の方からご意見をいただく場があります。そこで、以前“過去の話だけでなく、現在の難民問題について取り上げるのも必要なことではないか”というご意見をいただき、それがずっとひっかかっていたんです」。約2年前、募金活動の場所提供について国連UNHCR協会からムゼウムに依頼があったものの、新型コロナウイルスの感染拡大もあって実現にはいたりませんでした。
そして昨年、西川さん側からUNHCRの担当者にあらためて連絡をして情報交換を重ねるうちに、まずは自分たちのできることから始めてみよう、ということに。2022年の6月20日「世界難民の日」に向けて、難民アスリート写真展とUNHCRブルーのライトアップをムゼウムで実施することになりました。
この写真展に訪れた渕上市長は、東京2020オリンピック・パラリンピックに出場した難民アスリートたちのストーリーにふれて、心を揺さぶられたといいます。「世界には、困難に直面しながらも希望を見失わず、挑戦を続ける人々がいることに大変感銘を受けました。それと同時に、私たちも自治体として行動を起こすべきだと思い、難民を支える自治体ネットワークへの署名を決めました」と振り返ります。
そうして実現した「難民を支える自治体ネットワーク」の署名式。渕上市長は「ここからが大切なスタート」とも強調します。
西川室長は「まずは写真展やライトアップなどを続けていくことが大切。それが市として“難民支援に取り組んでいく”という意思表示にもなると考えています。一つひとつの取り組みを丁寧に続けていきながら、難民問題について伝える講演会や映画上映会など、新しいことも検討していきたいです」と話します。
高校卒業後は、進学や就職のために地元を離れる人も多いという敦賀市。「ムゼウムでは、地元敦賀を誇れるような学びを提供していきたいです」。そう話すのは、敦賀で生まれ育った敦賀市人道の港発信室の本庄志帆里さん。「敦賀の人は“昔は優しかった”ではなく、誰もが共生できる社会の実現に向けて、敦賀の歴史はもちろん、難民問題についての学びも深めて、自分にできることを考えるきっかけを見つけてもらいたいです」。
敦賀市で約1世紀にわたってつながれてきた“命のバトン”は、今また、新しいスタートラインから挑戦が始まっています。