UNHCR駐日事務所では、各部署で常時1-2名のインターンが活躍しています。
2021年8月~2022年3月まで渉外インターンとして勤務した山崎有紗さんは、大学でロシア語を学び、国連職員という夢に近づくためにUNHCR駐日事務所のインターンに応募しました。
約半年間、渉外部の仕事を支えてくれた山崎さんに、国際協力に関心を持ったきっかけ、インターンの経験、留学先であるウクライナへの想いなどについて聞きました。
自分で知識を得ることで
広がる世界
中学、高校のころから、将来は国際協力に携わりたいと思っていました。千葉県にある普通の公立校に通っていたのですが、学校が少し荒れていて、そんな日常に息苦しさを感じていました。人間関係もうまくいかず、どうにか楽になれないかと思って、とにかくたくさん本を読みました。そうすると、自分の生きている世界が変わっていったんです。広いと思っていた世界が実は狭かったり、他の考え方があったり、本を通じてたくさんのことを知ることができて少し楽になりました。周りの環境は変わってないけれど、考え方一つで自分は変わることができる、知識ってすごいという原体験から教育支援に興味を持ちました。
初めて海外に出たのが高校1年生の時、市のプログラムで行ったオーストラリアも原点です。これまでにない世界を知って、将来はもっと世界に出たいと、英語の勉強を頑張るようになりました。教育支援をするには国連かなと漠然と思い、大学では国連公用語のロシア語を学ぶことにしました。その時は、ロシア語は使われている地域が広いので「なにか役に立つのではないか?」とふわっとした考えでした。
ロシア語と国際協力の
2本柱の大学生活
私の大学生活は、ロシア語の勉強、国際協力の2本柱でした。大学1年の時にはケニアに行き、エイズ孤児院と公立の小学校で1カ月ボランティアをしました。そこで出会ったのが、毎日川に水くみ行くために学校を休みがちな子どもたち。それまで人が幸せに生きるには教育こそが大切だと信じていましたが、水や食べ物などが十分にあり“安全”が守られた環境でないと、子どもは勉強に集中ができないということを知りました。それがとても衝撃的で、そこから命を守る支援、人道支援に興味を持ち始めました。
大学2年の時には、西日本豪雨で崩壊した家屋の清掃などのボランティアをしました。人道支援に携わりたいという想いが大きくなる一方で、災害時の大変さを現場で経験したことで、紛争時の人道支援は一体どれほどなのだろうかと思い、大学のゼミで紛争解決を勉強するようになりました。
紛争を抱えている国で
現地の人から感じた現実
そして、人生の大きな転機となったのがウクライナのキーウ国立大学への留学です。大学生活の2本柱の両方を学ぶことができる場所、ロシア語圏で現在進行形で紛争を抱えている地域ということで、ウクライナを選びました。まだ学生で肩書きがない状態で、“紛争とともに生きる”とはどういうことかを理解したいという思いもありました。
「ウクライナ=紛争抱えている国」というイメージでしたが、実際に行ってみると想像以上におだやかな場所で、最初は紛争やクリミア併合などの影響を感じませんでした。でも次第に、ホストファミリーが徴兵で東部地域に行っていたこと、仲良くしていた友人の1人が東部出身で自分だけキーウに来て大学で勉強していることに後ろめたさを感じていること、ウクライナの人々は心から東部地域の紛争解決を望んでいることなどを知り、少しずつ見えてくるものがありました。
ウクライナでは、本当にみんなに親切にしてもらいました。行ったばかりのころは、ホストファミリー、大学の先生、友達にこんなにも良くしてもらっているのに、ロシア語がうまく使えず感謝の気持ちが伝えられないのがくやしくて、一生懸命勉強しました。そうするとロシア語も上達してきて、勉強も生活も楽しいと感じるようになりました。
UNHCR駐日事務所
渉外インターンとして学んだこと
留学から戻って将来をより真剣に考え始めて、やはり国際機関で人道支援に携わりたいと思い、その夢に近づくためにUNHCR駐日事務所渉外部のインターンに応募しました。UNHCRといえば“緒方貞子さん”。難民支援に対する強い信念と想いを持っている人が集まっているというイメージがありましたが、実際にインターンをしてみてその通りだなと思いました。
渉外部はUNHCRのパートナーとの連携を強化する部署で、インターンの仕事も多岐にわたります。たとえば、UNHCRでは自治体との連携に力を入れていることから日本の自治体のリサーチや英語での資料まとめを行ったり、NGOや市民社会のパートナーや国会議員との勉強会の運営のサポートもしました。特に翻訳の仕事が多く、最初は国連なので英語力が必要だと思っていましたが、1つの英単語を訳すにもターゲットによって言葉の選択が変わるため、日本語力もとても重要ということを実感しました。
特に印象に残っているのは、その時々の難民危機、緊急事態に関するトピックをUNHCR、NGO、外務省、大学の先生、当事者がどのように受け取め、どのように対応しているのかを知ることができたことです。最初はインターンとして自分の能力が不十分なのではないかと不安に感じることもありましたが、インターンとして、また今後人道支援に携わるうえで、自分が果たすことができる役割がなにかを考え直すきっかけにもなりました。
お世話になったウクライナに
自分ができることを
そして2月末、UNHCR駐日事務所でのインターンも残り1カ月となった時、ウクライナでロシアによる軍事行動が始まりました。2月24日、スマホのニュースがすべてウクライナで埋め尽くされ、ホストファミリー、友人、大学の先生などにすぐにメッセージを送りました。「今は大丈夫だけど、夜中はすごく怖かった」などと返ってきて、これは現実なのだと思いました。
私が知っているキーウは自然も豊かで、夕方になるとハリネズミが散歩していたりと、とても美しくおだやかな街でした。ニュースで流れてくる映像が「違う場所なんじゃないか」と思いたい気持ちでいっぱいでしたし、ウクライナでお世話になった人たちになにもできない自分がくやしくなりました。
そんな時、留学でお世話になった「トビタテ!留学JAPAN」の奨学生の仲間たちから、“ウクライナのためになにかできないか”という声が上がりました。そうして生まれたのが「日本からウクライナへ祈りを届ける~#SunflowerFromJapanプロジェクト」です。ウクライナの国を象徴する花である“ひまわり”の絵を描いてもらって、ハッシュタグ「#PrayForUkraine #SunflowerFromJapan」を付けてSNSで広めもらう―。物理的に離れていても、たくさんの人が想いを寄せて、応援していることがウクライナの人たちに届けばと思いました。
そして、立ち上げから数日でとても大きな反響がありました。SNSのタイムラインはひまわりであふれ、メディアからもたくさん取材の申し込みがありました。私が始めたのはとても小さなことですが、このプロジェクトから発想を得て、日本各地の学校でもひまわりを使ったウクライナ支援が広がっていることを知ってうれしく思いました。
そして3月末、ウクライナで緊急事態が続くなか、私はUNHCR駐日事務所でのインターンを終えました。最後の1カ月は、自分のプロジェクトの立ち上げや、ウクライナ人の友人を日本で受け入れたことなどもあって、インターンの仕事に集中することが難しいこともありましたが、スタッフや他のインターンの皆さんが励まし支えてくれました。
半年のインターンを終えての感想は、「挑戦してよかった」の一言です。渉外部のチームの一員として、一つひとつの仕事に責任もあり大変に感じることもありましたが、とてもやりがいがあり、難民問題になにが必要とされているのかも知ることができました。そして、私の仕事が何らかの助けになっていることを実感できる場面もたくさんありました。将来のロールモデルになるスタッフの方々、素晴らしいインターンの仲間たちとの出会いも財産です。
ウクライナへの支援は私の立場でできることを続けていきます。そして、この夏からはイギリスの大学院で開発学(人道支援、援助、紛争)を専攻する予定です。将来は旧ソ連地域を中心にロシア語を使いながら、緊急支援やジェンダーへの取り組みを通して、人道支援に携わりたいと考えています。