2016年リオ五輪で史上初めて結成された難民選手団。紛争や迫害により故郷を追われ、国や言葉をこえて一つのチームとなった難民アスリートがスタジアムに入場する姿は、世界中の人々の記憶に深く刻まれました。
この時、次の開催国の日本では・・・。2020年のオリンピックでも難民選手団を結成してほしい、そして何らかの形で応援したい―。そんな想いを抱いた人もたくさんいました。
その一つが、2021年夏、難民選手団にとって初めての事前キャンプの受け入れを行った早稲田大学です。その裏側には、数年にわたる大学関係者の熱意あふれる取り組みがありました。
オリンピック・パラリンピック事業推進担当の恩藏直人常任理事は「地域とのつながり、社会貢献は、大学としての基本的な使命です。東京に難民選手団が来るのであれば、大学としてすべきことがあるのではないかと考えました」と話します。
これまでも平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)などが中心となり、UNHCRとも連携しながら、長年にわたって難民支援に取り組んできた早稲田大学。その根底には、同大学の出身であり“命のビザ”の発給でも知られる杉原千畝氏の精神があります。学内での難民映画祭やタンザニアの難民キャンプでの駅伝大会「EKIDEN FOR PEACE」の開催、2019年度からは「UNHCR難民高等教育プログラム(RHEP)」初となる大学院での難民の学生受け入れも行っています。
難民選手団の事前キャンプについて、最初にUNHCR駐日事務所との意見交換が行われたのは2018年2月。「早稲田にとって一番の強みは学生というリソースです。留学生も多いことから言葉などの“壁”も低く、難民支援に取り組んでいる学生団体も多くあります。そして何よりも、難民選手団の受け入れは学生たちにとって大きな財産となる。そんなことを熱く語ったのを覚えています」と、WAVOCの岩城雅信調査役(当時)は振り返ります。当時窓口を担当したUNHCR駐日事務所のスタッフもその熱意にふれ、教育機関が難民選手団の事前キャンプを受け入れる意義を感じたといいます。
それから事前キャンプの申請に向けた準備が始まりました。学内のどの施設が使用可能か、教職員をどう配置するか、授業期間中の受け入れの調整をどう行うか―。一つひとつ課題をクリアしていき、理事会での最終審議でも反対の声はなかったといいます。早稲田大学として難民選手団を受け入れたい―。その想いは一つでした。
しかし、学内での承認は得られたものの、しばらくは試行錯誤の日々が続きました。国際オリンピック委員会(IOC)をはじめ関連機関との調整を行いながら、受け入れ決定まで時間がかかりました。最終的に決まったのは2020年1月。「これで本格的に準備が始められる」。そう思った矢先の新型コロナウイルスのパンデミックでした。
1年の開催延期を受けて、新たな課題となったのが新型コロナウイルス対策でした。当初と状況が変わり、実際に学内でも多くの不安の声が上がりました。
事前キャンプ中のコロナ対策は受け入れ先の自治体が担うことになっているため、早稲田大学の拠点である新宿区との連携も必要となりました。「新宿区の関係者の皆さんには、急なお願いとなり、大変な苦労をおかけしました。でも難民選手団の受け入れに共感してくださり、万全の体制が整いました」とオリパラ事業推進室の西尾昌樹調査役は話します。
受け入れが近づき、新宿区内の小学校からメッセージの寄せ書きののぼりや折り鶴が届いたり、早稲田大学では学生団体「VIVASEDA」のメンバーが選手到着前にメッセージカードなどを部屋に飾るなどして、ユース世代も加わってコロナ禍の制限の中でできる準備を進めました。
しかし来日直前、難民選手団の関係者に新型コロナウイルス陽性者が出たことから急きょ予定が変更に。早稲田大学で受け入れる難民アスリートの数も減りました。「事前キャンプに参加できずに残念に思っている選手の分も、一人ひとりの選手へのケアを丁寧にしたいと思いました」と西尾さんは話します。
最終的に事前キャンプに参加した選手は13人。毎朝6時半に新宿区職員によりPCR検査が実施され、朝食を取った後、選手たちはそれぞれのトレーニング会場に移動しますが、基本的に移動が許されていたのは、宿舎、食事会場、トレーニング会場のみ。少しでもリフレッシュしてもらえる方法はないかと考え、構内にある大隈庭園を朝と夕方貸し切りにして開放することにしました。「選手たちは散歩やジョギングを楽しんでいたようです」と西尾さん。ハラル、ベジタリアンなどにも対応したビュッフェ形式の食事は、種類も量も多く、選手や関係者からも好評でした。
陸上競技はトラックが必要となるため、卒業生でもある奥ノ木信夫 川口市長の計らいで、川口市内の陸上競技場が使用できることに。選手たちは広々とした競技場でトレーニングに励むことができました。日本の夏の暑さは厳しく、午後のトレーニングがキャンセルになったこともありましたが、選手たちは懸命にトレーニングに励んでいました。
早稲田大学が一丸となり、自治体とも連携しながら実現した事前キャンプ。選手村に向かうバスを見送る時、関係者がそれぞれの想いで、バスが見えなくなるまで手を振っていたといいます。開催期間中も難民選手団専用のSNSアカウントを作るなどして応援を続けました。
「学内でも難民アスリートの方と接したことのない人がほとんどで、どんな選手が来てくれるんだろうと期待と不安でいっぱいでした。実際にお会いしてみて、日本語を覚えて毎日あいさつをしてくれる選手もいて、私たちが逆に力をもらうこともありました。陸上競技代表の皆さんはいつも一緒にトレーニングをしていることもあってか、チームワークもとても良く、明るく場を盛り上げてくださいました」と西尾さんは振り返ります。
コロナ禍での受け入れは、決して簡単ではありませんでした。アスリートの学生が練習相手をしたり、選手一人ひとりに学生がついて生活面をサポートするという計画もかないませんでした。しかし、難民選手団の受け入れを安全に終え、関係者からの「本当に充実した事前キャンプだった」という感謝の言葉に、これまでの苦労もすべて吹き飛びました。
「コロナ禍で、難民選手団と学生が直接交流する機会がなかったのは残念です。でも私たちもいろいろなことを考えるきっかけとなりましたし、なによりもこれからずっと、早稲田大学は難民選手団の初めての事前キャンプ受け入れ先として語り継がれます」と恩藏常任理事は話します。
難民選手団の事前キャンプ受け入れというレガシーを誇りに、これからも学生とともに難民支援に取り組んでいきたいという早稲田大学。UNHCRも教育機関、ユース世代との連携を通じて、日本から難民支援の輪を広げていけるよう取り組みを進めていきます。
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