紛争や迫害により故郷を追われた人たちが、日本でも大学で学び続けられるように―
日本で2007年にスタートした「UNHCR難民高等教育プログラム(Refugee Higher Education Program – RHEP)」。2019年、参加校は全国11校にまで拡大しました。
RHEPを支えてきた人たちのインタビューシリーズの第2回。日本語教育という分野からRHEPをサポートするアークアカデミーの武藤勝彦副校長です。
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― 日本語教育に携わるきっかけは?
大学卒業後、日本のメーカーで企画などの仕事をしていました。10年ぐらい勤務してキャリアチェンジを考えていた時に、初めて日本語教師という仕事を知りました。外国人と接点のある仕事に興味があったこと、当時は“転職35歳説”とも言われていましたので、新しいことにチャレンジするのはラストチャンスだと思いました。
アークアカデミーでは、海外からの留学生への日本語教育に加え、企業向けレッスン、日本語教師養成講座など、さまざまなプログラムを提供しています。子どもから大人、ビジネスマンまで、さまざまな層と関わることができることはこの仕事の魅力です。
昔はアルバイトを必死にしながら通う学生も多かったですが、最近は十分な仕送りがあり、休みのたびに帰国したりという学生も多く、時代の変化を感じます。東日本大震災後、海外からの学生が一時期大幅に減ったこともありますし、日本の政策によっても出身国が変わったりと、さまざまな状況によって変化が起こる業界です。
― RHEPとの出会い、アークアカデミーの関わりは?
2007年にRHEPが始まった時、UNHCR駐日事務所から協力の依頼がありました。難民という厳しいバックグラウンドを持つ方々をサポートするプログラムに参加できることは、外国人への日本語教育に携わってきた当校にとって、とても名誉なことだと思いました。
2007年当初から担当しているのは、RHEPの志願者に対する日本語の筆記試験、口頭試験の作成・実施です。日本の大学で学ぶために必要な4技能(読む、書く、聞く、話す)を測ることが目的ですが、誰でも得意不得意はあります。4技能バランス良くできれば理想的ですが、志願者の能力を多方面から見る必要があると考えてUNHCR駐日事務所と相談し、日本留学試験の一部科目のスコア提出も途中から応募条件に加えました。
RHEPが始まったころは、日本語を第二言語として学んだ難民の学生が多く、現在どれだけの日本語力があって、今後どれくらい伸びそうかということが大きな選考基準でした。最近は日本で生まれ育ち、日本語が第一言語という難民2世の学生も増えてきて、コミュニケーション力、高等教育機関で学ぶ総合的能力や意識といったところも見ています。
数年して選考委員会のメンバーとして、難民の学生の選考プロセスにも携わるようにもなりました。日本語能力はもちろんですが、基礎的な学力や、目標に向かって計画を持って勉強をしていくことができるかなど、プラスアルファの部分も見るよう心掛けています。難民1世の志願者は日本語という点においては不利かもしれませんが、故郷の国で学んできたことを活用できれば、日本の大学でより力を発揮できる可能性があります。逆に、日本で義務教育を受けてきたからといって、そのまま大学に行っても大丈夫ということはありません。
RHEPという特別なプログラムで進学するのであれば、大学に入ることが目的ではなく、自分がなぜ、そして何を大学で学びたいのか考えてほしいと思います。入学後にミスマッチが起こると、学生にとっても大学にとっても、もったいないと感じるからです。もちろん入学後に目標が変わることはありますが、入学前にしっかり考えるプロセスを経ていれば、その移行もスムーズにできると思います。
中には、合格ラインではあるものの、日本語能力が必要レベルにわずかに達していない学生もいます。独学では難しいことも多いため、国連UNHCR協会、UNHCR駐日事務所の皆さんと相談して、当校が大学入学までの期間日本語指導を行い、授業料の一部を負担するという形でサポートさせていただくこともあります。
― 難民の学生の印象に残っているエピソードは?
ある年の選考で、日本語能力が足りず不合格になった学生がいました。次の年もチャレンジしてくれたのですが、驚くほどに日本語が上達していて、表情も自信にあふれていました。不合格者に対してはどこが足りなかったのかなどアドバイスするのですが、それを克服するため、ものすごく努力してきたことが伝わってきました。自信がついたことで、大学進学にかける思いが面接でもしっかりと伝わってきました。
これは1人だけでなく、そういう難民の学生が何人もいるんです。彼らの努力のプロセス、その結晶が集まる空間に立ち会うことができるのことは、とても幸せなことです。
RHEPの志願者の家庭の事情はさまざまです。生活のためにアルバイトしながら試験勉強しなければならなかったり、チャレンジしても合格するか分からない不安もあると思います。それでも毎年多くの応募があり、RHEPというプログラムが難民の若者にとって、まさに“希望”であることが分かります。
私にとってうれしいのは、当校で日本語の授業を受けた学生が、大学に入ってからもたまに立ち寄ってくれたり、大学4年になって「就職が決まりました」とわざわざあいさつに来てくれたりすることです。大学入学後、私たちが直接何か支援をするわけではないのですが、たまたま選考委員の一人だった私たちにも連絡を取り続けてくれて感動します。
― RHEPへの協力を通じたアークアカデミーの変化は?
難民の学生が授業に加わることに対して、最初は少し心配していたのですが、とても良い影響を周囲に与えてくれました。自身のバックグラウンドを詳しく話す人もいればそうでない人もいますが、どういう状況であっても、ほかの学生たちは温かく迎えてくれています。でもそれは、難民の学生だからではなく、同じ日本語を学ぶ仲間として、とても努力していることが強く伝わってくるからです。
これまであまりいなかった国出身の方も多く、自国の文化などについてグループディスカッションで話し合う時などに、とても新鮮な意見が飛び交います。難民の学生たちの姿を見て「自分ももっと頑張らないと」と、みんな少なからず影響を受け、クラスの雰囲気も変わりました。
最初は校長と私の2人でRHEPを担当していましたが、今では試験作成や選考に関わる教員も4~5人に増えました。難民という言葉は知っていても、実際に面接で生の声を聞いて、より深く自分事としてとらえることができて、日本語教師として、一人の人間として、貴重な財産になっていると思います。
―立ち上げから12年、RHEPの今後にメッセージをお願いします。
ある日突然、命に危険を感じて故郷を追われるという状況は、日本で暮らす私たちにとっては簡単には想像がつきません。でも、確かにそのような現実があり、日本に逃れてきている人がいる以上、日本語学校として、何か少しでも難民の学生をサポートできたらと考えています。難民の学生たちとの出会いを通じて、私たち自身も学んだり、気づかされたりすることが本当にたくさんあります。
RHEPが始まって12年、大学の数が増え大学院の枠もできて、日本で暮らす難民の学生にチャンスが広がってきたのは素晴らしいことだと思います。これからは彼らが卒業後、日本社会に羽ばたいていけるよう、それぞれが活躍できる場への道筋をつくるサポートができたらさらに素晴らしいと思います。そして、日本全体がもっと、難民や外国人にオープンな社会になることを願っています。
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