3月27日、南スーダン、イーダ・キャンプ
イーダ・キャンプで武力衝突が起こった時、トマ・イブラヒム・ククさんは恐怖に怯えた。トマさんは何かを持って逃げる余裕などなく、飛び交う弾丸を避けながら、子ども6人を含む計11人の家族とともに茂みの中に逃れた。家族はそのまま一晩を過ごした。翌日の夕方、再び銃声が聞こえたため、紛争地域のスーダン国境付近まで避難した。
数日後イーダ・キャンプの状況が落ち着き、UNHCRは国境のほうにバスを向かわせた。トマさんのように、武力衝突を避け、避難せざるを得なかった1000人ほどの難民を迎えに行くためだ。食べ物や水不足に直面していた難民は喜んでイーダ・キャンプへ戻ることを決めた。
しかし、その安堵はほんの一瞬だった。トマさんはこう語る。「私たちがイーダ避難所に戻ってきた時、残したすべてを奪われた事に気がついたのです。毛布、水を汲むためのバケツ、石鹸、食糧などすべてを失いました。」
UNHCRは一週間以上前から、7万人以上の難民が生活するイーダ・キャンプのコミュニティが暴力行為によってどのような影響を受け、今後どのような支援が可能であるかを模索している。UNHCRの職員は難民のリーダーに救援物資を手渡す前に、何が本当に必要とされているのか家族単位で聞き取りを行っている。
「我々は難民のリーダーたちに救援物資を提供しています。リーダーを中心に、難民の生活やコミュニティの再建に役立ててくれるよう期待しています。」と語るのはイーダ・キャンプで活動するUNHCRベンティウ事務所所長のマリ・ヘレナ・ベルニー。イーダ・キャンプ内での銃撃事件は、難民保護を困難にする「避難所内への武器の持ち込み」という問題を浮き彫りにした。
何もない自分のシェルターに戻ってきた夜、トマさんはこれからどうすべきか考えた。周辺のコミュニティのほとんどは、他の場所へ避難した時のままになっていた。
次の朝、トマさんの兄が同じ部族出身の難民50人ほどが避難している別の場所へと彼女を連れていこうと迎えに来た。コミュニティの代表である46歳のイズマイル・ククさんは、手荷物で埋め尽くされた部屋に座り、言った。「弾丸があちこち飛び交うのを見たとき、家族7人を守る重い責任を感じました。この新しい土地で、コミュニティを築くのに適した場所を見つけました。そこに家族と子どもたちとともに暮らせる新しいシェルターを建てるつもりです。」
3月末、UNHCRはユニティ州で新しいキャンプを開設する。2万人以上の難民が新しいキャンプへ移動することによって、過密化しているイーダ・キャンプの状態が改善されることが期待される。新しい難民キャンプは南スーダン政府から安全で危険がないと指定されたところに位置している。ここ数週間、UNHCRの職員は多くの難民たちに向けて、なぜ新しいキャンプが開設されるのか、どのようなサービスが受けられるのかを伝えて来た。新しいキャンプ地に移りたいと希望する難民は、UNHCRやパートナー機関によって、初等・中等教育、生活支援が受けられる。
イーダでの安全性が確保され、トマさんとイズマイルさんはようやく安心することが出来たと言う。トマさんは「これから新しい生活をまた建て直していくことができる」と語った。
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