東京発
UNHCR駐日事務所副代表の久保眞治は「18年前、世界の難民のために役に立ちたいと願い、UNHCRで仕事を始めた。今、自分が郷里の皆さんに支援物資と共に、勇気や希望を届けることになるとは、想像もしていなかった」
UNHCRが世界各地で活用しているエコ・ランプ(太陽光によって発電する小型ソーラー・ランプ)を緊急支援として、東日本大地震と津波によって被害を受けた宮城県石巻市に、約1,800台を届けた際の率直な感想であった。
春到来とは言え、氷点下にも達する被災地では、未だに電気や水などのインフラが復旧していない。大きな避難所では、全国からの支援などにより、電源が確保されるところもあるが、これが全ての避難所や家庭に届くまでには時間がかかることであろう。
地元市役所職員から最もニーズがあるとされる湊中学校を始め、地域の避難所を訪問し、ランプが配布されるのを見届けてきた。昼間の太陽光による充電で、一晩は明かりを灯し、「被災者にとって、闇の中に灯される明かりは、安心感を与えるものです」の感謝の言葉を伝えられた。
自身の家族も被災した久保は、「多くの被災民の方々は、一瞬にして家を、世帯道具を、愛する家族や友人を失ってしまった」厳しい状況の中、懸命に耐えている姿に対して、「小さな明かりが毎日皆が現実に立ち向かい、困難に打ち克ち、生活をたて直そうとするときの希望の明かりとなることを、願わずにはいられない」
馴染み深い街並みが崩壊し、町の中心部にまで漁船や、魚が打ち上げられ、汚泥の腐臭や、舞いあがる砂ぼこりでマスクが手放せないような状況を、目の当たりにするのは厳しい。しかしこのような状況下でも、被災民は昼間は自分の家のあったところへ戻り、片付けをし、配給と睡眠をとるために暗い避難所に戻り、床につく。
避難所の一角で、離れたお孫さんとようやくつながった携帯電話で女性が気丈に語りかけている「こっちは大丈夫よ。全世界から支援が集まっているから、心配ないよ」との言葉に、エコ・ランプを届ける支援が実現できたことへの大きな励みと人間の生きるための力強さを実感した瞬間だった。
UNHCRはアントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官が菅直人総理大臣にお見舞いと支援要請の申し出を行っていた。震災直後から、国連災害評価調整(UNDAC)や、現在はジャパン・プラットフォーム(NGO、経済界、政府などの対等なパートナーシップに基づく国際人道支援組織)の情報収集への人的貢献も行っている。世界各国で活躍するUNHCR職員も個人、有志で寄付金を集め、被災地支援に協力している。
「今は日本の皆さんに連帯の心と活動を示すとき、日本は長きにわたり、最も難民を支援してくれた国。私たちにが今こそ日本に支援を届けるべきである」ヨハン・セルスUNHCR駐日代表は述べる。このたびの緊急支援は外務省、宮城県、地元受け入れ先、国連食糧計画(WFP)などの多くの関係者の協力と連携によって実現した。
UNHCR駐日事務所では、震災直後から難民のコミュニティ・リーダーたちに、日本語以外で提供される震災情報などを提供した。今では、難民が個人、あるいはグループで「自分を難民として受け入れてくれたこの国の人に恩返しがしたい」と、震災支援の寄付を募っている。
詳しくはこちら(英語)
※エコ・ランプに関するウェブストーリー
2011年3月29日 【UNHCRから被災地へ エコ・ランプ届けられる】
2011年4月4日 【UNHCRのエコ・ランプ、被災民へ希望の明かりを】
2011年4月20日 【新学期へ明かりよ届け、UNHCRのエコ・ランプ】