ロシア、モスクワ 2013年5月6日発
現在20歳のレマ・デーンの人生の始まりは決して楽なものではなかった。デーンは俳優の卵として、そして難民の定住という観点での成功例ではあるが、彼の幼少期は想像を絶する困難の連続だった。
1994年、デーンが両親に連れられてアンゴラからロシアにやってきた時、彼はまだ1歳だった。デーンの両親にとって慣れない土地での生活は困難の連続であり、1997年、デーンは孤児院に預けられた。両親は離婚し、2003年にモスクワで再婚した母親に引き取られた。その後妹プリシラが生まれたが、2006年にデーンの母親は、家族で住める新しい場所を探すと言い残しルアンダへ旅立ってしまった。そして、二度と家族の元に戻ってくることはなかった。デーンは義父と腹違いの妹とロシアに残されることになった。
デーンは1990年代にロシアに滞在しUNHCRの支援を受け登録した約500人ほどの難民の1人だ。UNHCRとパートナー団体は、ロシア連邦移民支援当局の協力を得て、デーンのような難民に対して生活サポートと長期的な視野での法的支援を続けてきた。支援は徐々に、UNHCR主導のものから国家主導へとシフトしていったが、特に注意を要する特別なケースとしてUNHCRはデーンを支援し続けてきた。UNHCRは、デーンを長期的な解決に向けたモデルケースとして捉え、ソーシャルワーカーが定期的に家庭を訪問し、健康状況や勉強の相談に応じた。
ある時、デーンに大きなチャンスが訪れた。UNHCRの支援を得て、デーンと義父はロシアで法的に身分を保証され、ロシアで生活し、就職、勉学の機会を得る権利を手にした。
2007年、デーンはロシアの俳優兼映画監督、アンドレイ・パニン監督の映画「Cosmonaut’s Grandson」の主役に抜擢された。デーンは撮影を振りかえり、こう語った。「演じる上で大変なことがひとつだけありました。僕の役はフーリガンの役だったんです。とても演じづらいシーンもいくつかありました。」
撮影中他の俳優とも打ち解け、俳優として報酬をもらい、ラップトップのコンピュータも手に入れた。彼の“役者になる”という夢が形になった瞬間だった。
UNHCRはその後もデーンと連絡を取り続け、相談に応じることもあった。2010年、環境学を学ぶためモスクワの学校に入学し、勉学に励んだ。なかでも歴史と文学にとても関心を持っていた。授業後には友達とサッカーを楽しみ、演劇のグループにも属し、高校卒業後も演劇について学ぶという夢をあたためていた。
「デーンのケースは、難民申請者として身分の保証のない困難な時期があったとしてもロシアで生活の基盤を築いていくことができる、という事を証明しています。私たちの役割は、ロシアで新たな人生を切り開こうという人へ法的、社会的な道が開けるよう当局や一般社会に働きかけていくことです。」とUNHCRロシア事務所代表ゲシェ・カレンブロックは語った。さらに「包括的な取り組みを通して、UNHCRは長期的な視野にたって支援を進めるようになりました。デーンのような難民の子どもが受け入れ国でキャリアを積む事によって、受け入れた国も結果的に支援した恩恵を受けるのです。」と付け加えた。
昨年高校を卒業したデーンは、夢にまた一歩近づいている。現在はチェリャビンスク市の文化大学で演劇を学び、4年後に卒業予定だ。
デーンは将来のことを聞かれると決まってこう答える。「多分他の人と大差ない普通の事を考えています。自分の家を持ち、家庭を築くことです。」
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