<ジョリー氏の人道支援のあゆみ>
2003年にカンボジアで「マドックス・ジョリー・ピット基金プロジェクト(Maddox Jolie-Pitt Foundation Project)」を立ち上げ、カンボジアの農業、教育、医療、職業訓練、インフラ整備、農村開発やマイクロクレジットプログラムなど多岐にわたる分野で貢献しました。
2005年には「難民と移民の子どもたちのためのセンター(National Centre for Refugee and Immigrant Children)」を立ち上げ、難民申請中の若者が無料で法的支援を受けられるように。2008年にはマイクロソフト社と協働で「弁護を必要とする子どもたちのための組織(Kids in Need of Defence)」という法律事務所によるプロボノ組織を立ち上げ、法的機関、NGO、ボランティアが一緒になって、米国在住で保護者のいない移民の子どもたちに法的支援を提供してきました。
また、紛争の被害を受けた子どもたちへ教育プログラムを提供する「紛争の影響を受けた子どもたちへの教育パートナーシップ(Education Partnership for Children of Conflict)」の共同代表も務めています。
2007年、ジョリー氏は外交評議会(Council on Foreign Relations – CFR)のメンバーとなり、以降、「大量残虐行為と大量虐殺廃止の介入」を含む多くのCFRの特別報告に対し、資金提供をしています。2010年にはハイチを数回訪問し、政府の法的統治能力を強化するための「ジョリー・リーガルフェロープログラム」を設立。ハイチに若い弁護士を派遣し、政府の児童保護の支援強化を進めています。
同年3月にはコリン・パウエル氏とともに米国UNHCR協会とクウェート・アメリカ基金の晩餐会に特別ゲストとして出席し、イラクの難民女性や子どもを支援するために100万ドルを集めました。その席で、ジョリー氏は、難民と移民の子どもたちのためのセンター(National Center for Refugee and Immigrant Children)の開設を発表しました。
2005年6月には、ワシントンにおいて、コンドリーザ・ライス国務長官と1994年のルワンダ大虐殺から逃れた人々を保護した元ホテル支配人のポール・ルセサバギナ氏とともに「世界難民の日」に合わせた数々のイベントを主催しました。
こういったジョリー氏の貢献は各地で評価を受け、2003年には国連特派員協会の「第1回国連特派員協会賞」、2005年にはアメリカ国際連合協会と国連経済評議会の「グローバル人道賞」、2007年には国際救援委員会から「フリーダム賞」をアントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官(当時)とともに受賞しました。2011年10月、UNHCRはジョリー氏の親善大使としての10年にわたる人道支援への貢献を表彰しました。
2012年4月、グテーレス高等弁務官はジョリー氏の献身的な活動を高く評価し、UNHCR特使に任命。引き続き、UNHCRの人道支援の現場視察に加え、国際的な外交の場でUNHCRや高等弁務官の代表として難民や国内避難民の声を伝える活動を精力的に行っています。
また、UNHCRへの寄付という形でも貢献を果たし、2001年から総額500万米ドルを超える寄付を行なってきました。寄付金は主にケニアやアフガニスタンでの学校建設や生活改善のために使われています。
【フィールドミッション】
訪問日 | 訪問先 |
2022年3月 | イエメン |
2021年6月 | ブルキナファソ |
2019年6月 | コロンビア |
2019年2月 | バングラデシュ |
2018年11月 | 韓国 |
2018年10月 | ペルー |
2018年6月 | イラク |
2018年1月 | ヨルダン |
2016年9月 | ヨルダン |
2016年3月 | ギリシャ |
2016年3月 | レバノン |
2015年7月 | ミャンマー |
2015年6月 | トルコ |
2015年1月 | イラク |
2014年9月 | マルタ |
2014年6月 | タイ |
2014年2月 | レバノン |
2013年6月 | ヨルダン |
2012年12月 | ヨルダン |
2012年9月 | イラク |
2012年9月 | トルコ |
2012年9月 | レバノン |
2012年9月 | ヨルダン |
2012年4月 | エクアドル |
2011年6月 | マルタ、イタリア |
2011年6月 | トルコ |
2011年4月 | チュニジア |
2011年3月 | アフガニスタン |
2010年12月 | スペイン |
2010年9月 | パキスタン |
2010年8月 | ボスニア・ヘルツェゴビナ |
2010年6月 | エクアドル |
2010年4月 | ボスニア・ヘルツェゴビナ |
2010年2月 | ハイチ |
2009年10月 | シリア |
2009年9月 | ケニア |
2009年7月 | イラク |
2009年2月 | タイ |
2008年10月 | アフガニスタン |
2007年8月 | イラク、シリア |
2007年2月 | チャド |
2006年12月 | コスタリカ |
2006年11月 | インド |
2005年11月 | パキスタン |
2005年5月 | パキスタン |
2004年12月 | レバノン |
2004年10月 | スーダン |
2004年10月 | タイ |
2004年6月 | チャド |
2004年4月 | アリゾナ(アメリカ) |
2003年12月 | エジプト |
2003年12月 | ヨルダン |
2003年8月 | ロシア |
2003年4月 | スリランカ |
2003年3月 | タンザニア |
2002月12月 | コソボ |
2002年10月 | ケニア |
2002年6月 | エクアドル |
2002年5月 | タイ |
2002年3月 | ナミビア |
2001年8月 | パキスタン |
2001年6-7月 | カンボジア |
2001年2月 | シエラレオネ |
女優アンジェリーナ・ジョリー
アンジェリーナ・ジョリーは、1975年アメリカに生まれました。 幼い頃からよく母と一緒に映画を観に行ったことがことがきっかけで、ジョリーは演技に興味を持つようになりました。1998年のテレビ映画『ジーア/悲劇のスーパーモデル』で演じたジーア役が高く評価され、ゴールデングローブ賞を含めて多くの賞を受賞しました。
さらに翌年、映画『17歳のカルテ』で再びゴールデングローブ賞を受賞。その後は演技派女優としてのキャリアを開花させて行きました。現在、女優としての高い知名度を誇り、その演技力と人間的な魅力で多くのファンを魅了しています。
難民問題に関わるきっかけ
女優としての活躍のほか、長年難民問題や平和構築の問題にも力を注いできました。
そのきっかけとなったのは、アドベンチャー・アクション映画「トゥームレイダー」への出演でした。2000年、映画撮影のためカンボジアを訪れました。短い期間でしたが、現地の美しい大自然や住民たちの優しく素直な性格に感動したと言います。
そして、未だに地雷が爆発するかもしれない危険の中で子どもたちが生きているという事実にショックを受け、自分に何か出来ることはないかと考え、帰国してすぐにUNHCRに自分自身で連絡をしたのです。
これを機に、アンジェリーナ・ジョリーは慣れ親しんだショービズ界とは全く別世界の難民支援に携わるようになりました。そして、この活動を自分の慈善心を見せるパフォーマンスとしてではなく、人生のキャリアの一つとして力を注ぎ始めたのです。
2012年、ヨルダンのザータリ難民キャンプにて © UNHCR/ J.Tanner
UNHCR親善大使としての活躍
アンジェリーナ・ジョリーは2001年にUNHCRの親善大使に任命された後、シエラレオネ、カンボジア、パキスタンを視察のために訪れ、翌年さらにナミビア、タイ、エクアドル、ケニア、コソボの5つの国と地域にも訪問しました。 親善大使として人道支援活動の現場をただ通り過ぎるのではなく、ありのままの現実を自分の目で見て、そして現地の人々の声に耳を傾けました。そして訪問を通して感動し、驚き、また悲しく感じたこと全てを日記に残しそれを出版して(原題:Notes from My Travels: Visits with Refugees in Africa, Cambodia, Pakistan and Ecuador)その売り上げを全てUNHCRに寄付しました。
その後も人道支援の現場へ40回以上赴き、難民・国内避難民の苦しみを伝え、保護を訴えてきました。彼女の訪れた場所の中には、シリア、イラク、パキスタン、ヨルダン、アフガニスタンなど命の危険を伴うような場所も含まれています。支援現場では女優としての自分を忘れ、できる限り難民の声に耳を傾け、その現状とニーズを把握しようと努めました。
親善大使に任命された11年後の2012年、UNHCR特使に任命されました。特使という新たな立場で活動を続け、2022年にその任期を終えました。