「故郷とのつながりを感じる『大切なもちもの』はありますか?」
写真家のホンマタカシさんがそう尋ねると、アナスさんは少し考えたあと、書斎から1本のペンを持って現れました。
グリップの部分は擦れて一部破れているものの、窓から差し込む光をつるりと弾く銀色のペン。持ち主と過ごした時間が確かに刻まれ、両手で大事に持つアナスさんの手には、少し小さくも見えました。
「このペンは、数年前に亡くなった私の母が、薬剤師として働いていた頃から30年以上使い続けていたもので、昨年父が来日したときに、私のためにシリアから持ってきてくれました。
だからこのペンは、私にとって、私の命の半分よりも大切なものです」
紛争や迫害によって故郷を追われた人々が、世界で1億1千万人を超えるいま。
複雑に拡大を続ける難民問題について考え、支援を呼びかける6月20日の「世界難民の日」を前に、国際的に活躍する写真家のホンマタカシさんが、日本国内で暮らす難民の背景を持つふたりの自宅をそれぞれ訪ねました。
撮影に協力してくれたのは、難民の背景を持つ若者と日本の若者でつくるユース団体「EmPATHy」の初代共同代表として活動するアナス・ヒジャゼィさんと、スザンさん。
ふたりは、出身国であるシリアで2011年から現在まで続く紛争によって人生が大きく一変。さまざまな分かれ道をたどって、いまは日本で暮らしています。
台所にきれいに並んだ調味料や、大小さまざまなマグカップ。流行りのマンガやぬいぐるみに、ペットと遊ぶおもちゃ。学業や仕事のためのデスク、来客用の茶菓子やコーヒー。
それぞれの自宅でホンマさんが撮影した写真に記録されたものの多くは、どこにでもあるようなものばかりです。
その中で、スザンさんの部屋の一角には、ひときわ鮮やかな花々とともに、写真が飾られていました。
スザンさんが「故郷とのつながりを感じる大切なもの」として紹介してくれたのが、その1枚。3年前にがんで亡くなったお母さんの生前の姿を記録したものでした。
「母は紛争が続く間もずっとシリアで治療を続けていましたが、新型コロナウイルスによって、移動の自由も医療へのアクセスも制限されてしまった影響で、脳や脊髄までがんが広がってしまいました」
「最後に母と会ったのは、私がシリアを離れたおよそ10年前。シリアやその周辺国、そして日本と散り散りになってしまった家族が、また一緒に暮らすことができるよう頑張っていたのですが、母と再会することはできませんでした」
それぞれが経験した喪失と、それでも絶やさない希望。故郷を追われた難民や国内避難民の多くが、それまで築いた暮らしを失い、家族と引き離されながらも、自分たちの描く未来に向かって歩み続けています。
さまざまな経験を経て、日本で生きるアナスさんとスザンさんもいま、NPOなどで支援活動に取り組みながら、技術コンサルタントや博士課程の研究者としてもそれぞれ幅広く活躍しています。
1億1千万人の一人ひとりにかけがえのない毎日があり、そこには1億1千万通りの知られざる「物語」がある。
6月20日の世界難民の日、いまを共に生きる彼ら彼女たちの声に、ぜひ耳を傾けてください。
◾️ トークイベント「ホンマタカシさんの写真でたどる“1億1千万分の1”の物語」を開催
6月15日(土)13:00〜14:00には、ホンマさん、アナスさん、スザンさんをお迎えして、今回の記事でご紹介した写真や未公開写真を鑑賞しながら、当日の撮影の様子やそれぞれの写真が写し出しているもの、故郷を追われた人々がたどる“旅路”などについて語らうトークイベントを、二子玉川 蔦屋家電(Google Map)のイベントスペースで開催します。
▶トークイベントの詳細はこちら
◾️「瀬戸内国際芸術祭2025」でホンマタカシさんと写真展を実施
UNHCR駐日事務所は2025年に開催される「瀬戸内国際芸術祭2025」において、ホンマタカシさんとコラボし、難民の一人ひとりの物語や旅路に焦点を当てた写真展を、芸術祭実行委員会と共催で開催することを決定しました。
写真展では、ホンマタカシさんにUNHCRが支援活動を行う国内外の現場などを訪ねていただき、難民などの姿をファインダーを通してとらえ、彼ら彼女たちが避難生活を続けるなかでも手放すことのなかった「大切なもの」を記録した写真を通じて、統計などからは見えてこない一人ひとりの物語に光を当てます。
▽関連プレスリリースはこちら
・「世界難民の日」難民のものがたり展
・「世界難民の日」ホンマタカシさん特別企画プレスリリース
・UNHCR、「瀬戸内国際芸術祭2025」で芸術祭実行委と共催企画 国連機関として初の取り組み
《企画協力》
◾️ホンマタカシ(写真家)
1999年、写真集「東京郊外」(光琳社)で第24回木村伊兵衛賞を受賞。著書に「たのしい写真 よい子のための写真教室」(平凡社)など。近年の作品集に「TOKYO OLYMPIA」(NIEVES出版)、「Thirty-six View of Mount Fuji」(MACK出版)など。2023年から2024年にかけて東京都写真美術館にて個展「即興」を開催。
◾️アナス・ヒジャゼィ(アクセンチュア株式会社、EmPATHy初代共同代表、Japan Bridge代表 )
シリア出身。アサド政権の圧政から逃れた人権活動家。家を破壊され、3度の国内避難を経て、2013年にレバノンに逃れ、環境エンジニアとして勤務。2019年、JISR(シリア平和への架け橋・人材育成プログラム)を通じて来日、大学院に進学。卒業後、アクセンチュアに入社、技術コンサルタントとして勤務。日本での温かい受け入れと、シリアから逃れて初めて感じる自由を経験しながら、シリア人・難民に関する人道活動を行い、トルコ・シリア地震被害者を支援する啓発イベントをNPOや国際機関、日本の若者グループや個人と協力しながら開催している。2023年にはEmPATHy代表として第2回グローバル難民フォーラムにも出席。
◾️スザン・フセイニ(早稲田大学博士課程 [アジア太平洋研究科]、EmPATHy初代共同代表、Japan Bridge運営委員会メンバー、パスウェイズ・ジャパン プロジェクトオフィサー)
早稲田大学アジア太平洋研究科で国際関係学の博士課程に在籍。英語翻訳の学士号をシリアのアレッポ大学で取得し、2018年にPathways Japanの日本語学校プログラムを通じて来日、RHEPで早稲田大学の修士課程を卒業。
カタール赤新月社、グローバル・コミュニティーズ、ブリティッシュ・カウンシルなどの国際非政府組織での勤務経験もあり、現在はEmPATHyとJapan Bridgeの代表を務め、Pathways Japanでプロジェクトオフィサーとしても活躍。教育の権利、持続可能な開発目標、難民保護の推進を重視しており、来日した学生のサポートや教育相談を提供している。2023年には、EmPATHyの共同代表として第2回グローバル難民フォーラムにも出席。