「目指しているのは、ITエンジニアになって、故郷のミャンマーと日本の懸け橋になること。そのためにがんばります!」
そう目を輝かせて話すのは、この春、新社会人としての生活をスタートしたミャンマー出身のアウンさん。2年間の専門学校での学びを経て、4月から日本のIT企業で働いています。
日常会話も、ITの専門用語も、日本語が堪能なアウンさんですが、来日したのはわずか5年前。努力に努力を重ね、日本で就職するという夢をかなえました。
日本に来たのは2019年、20歳の時――。
ミャンマーでの政治的な活動により迫害を受け、日本に避難した父親、そして、父親を追って日本に移住した母親を頼っての決断でした。「私はミャンマーに残って祖母と暮らしていて、大学で法律を勉強していました。でも両親と暮らすために、大学を辞めて、日本に行くことにしたんです」。19歳のアウンさんにとって、それは簡単な決断ではありませんでした。でも、家族との生活も捨てられない夢でした。
日本には小さいころから興味もありました。「昔から日本のアニメが好きで、アニメの中の日本にあこがれていました。実際に来てみたら、本当にその世界が広まっていて、わくわくしました」。
来日後、まずは日本語を習得しないと何もできないと、社会福祉法人さぽうと21の日本語教室、さらに日本語学校からの支援も受けて学びながら、アルバイトも始めました。「日本語が早くうまくなりたいと思ったのと、日本に友達がいなかったので、友達を作りたいと思いました」。
そのアルバイト先で出会ったのが、アウンさんが今、信頼できる“親友”として一番に名前を挙げる倉田葵さんでした。「初めて同じシフトになった時、名札に“アウン”と書いてあって、ミャンマー出身なのかなと思いました」。当時大学生だった倉田さんは、世界各地を旅するバックパッカー。大学が休みになると、世界を旅して周り、これまで訪れた国は約50カ国。ミャンマーを旅したこともありました。
「最初は緊張したんですが、思い切って話しかけてみたんです。その日、そのまま飲みに行って、いろいろな話をしました。なぜかとても気が合って、仲良くなれると直感で思いました」と倉田さん。それからも、バイト後に飲みに行ったり、一緒に出掛けたりするうちに、2人は互いにとっての“親友”になっていました。
「倉田さんはミャンマー語の読み書きができて、とても驚きました。僕が“ここに行ってみたい”というと、いつもすぐに連れて行ってくれて、私生活や進学の悩みも相談するようになりました」
当時、アウンさんが悩んでいたことのひとつが、この先日本でどうしていくかでした。ミャンマーの大学で学んだ法律を学びなおしたい、という気持ちもありました。でも、少しでも早く、確実に仕事につながるスキルを身に着け、日本で就職したいとも考えていました。そして新たな目標となったのが、IT系の専門学校への進学でした。
「ゲームが好きだったので、そもそものITへの興味はそこからです。ミャンマーで大学に入る時も考えたのですが、ITの学部がある大学は家から遠く、あきらめざるを得ませんでした。これからどの仕事に就くにしても、パソコンの知識は必要ですし、日本で挑戦してみようと思ったんです」。
アルバイトを続けながら、出願準備や日本語の勉強は進めていたアウンさんでしたが、入学の壁となったのが学費でした。「私のアルバイト代では生活費が精一杯。父親も定年を迎えて正社員ではなくなっていたので、学費の支払いは難しかったんです」。そこで紹介されたのが、「難民専門学校教育プログラム(Refugee Vocational Education Programme – RVEP)」でした。「RVEPがあったおかげで、今度は夢をあきらめずに済みました」。
RVEP を運営する公益財団法人JELAの奈良部慎平事務長は「JELAはこれまでも難民の背景を持つ方々への支援を続けてきましたが、そのなかで、専門学校に進学するための奨学金のニーズがあることを知りました。私たちとしてできることがあるかもしれない、と思い、UNHCR駐日事務所の職員の方々と意見交換をしたのが始まり。2020年に奨学金プログラムとしてスタートしました」と振り返ります。
2022年春、東京のIT系専門学校に入学したアウンさんは、システム工学について幅広く学びました。一番好きなのはプログラミングです。「新しいプログラムが完成した時、なにかを生み出したという達成感が得られますし、それが自信につながって、またがんばろうと思えるんです」。アウンさんが通っていた専門学校は外国人の学生も多く、日本語の授業があったことも、授業や就職活動の大きな助けとなりました。
「とてもまじめで自立心が強いというのが、アウンさんの第一印象です。自分の資質をどう日本社会で生かすことができるのか、そのために何をすべきなのか、一つひとつ考えて実現につなげていく姿が頼もしかったです」とJELAの渡辺薫事務局長は太鼓判を押します。プログラミング言語でつまづいた時も、さぽうと21を通じて出会ったITボランティアの助けを得ながら、前を向き続けました。
就職先を決める時には、先に社会人となっていた倉田さんにも、何度も何度も相談しました。「倉田さんと話をしていると、自然と前向きになれるんです。どんな相談にも親身にのってくれて、最後にはいつも僕の背中を教えてくれる。だから前に進むことができました」。そう話すアウンさんですが、「それはむしろ僕のほうですね(笑)」と返す倉田さん。「アウンさんは、日本に来て環境もすべて変わって大変なのに、いつも明るくて、どこかポジティブなところがあって。僕が悩んでいる時は、いつも元気づけてくれます」。
東京のIT企業への就職が決まった時、両親は「あなたが息子で誇らしい」と、とても喜んでくれたといいます。「僕ががんばれるのは両親の存在があるから。2人が笑顔になってくれたらうれしいし、そのためにがんばっている、と言ってもいいかもしれません。これからは、もっとITの知識を身につけて、社会にも役に立てる自分になりたいです」。
アウンさんをはじめ、日本の専門学校への進学を志す、難民の背景を持つ若者たちを応援する「難民専門学校教育プログラム」。プログラムが始まって4年、日本の社会に羽ばたき、活躍してている奨学生もたくさんいます。現在、来年度入学予定者の応募を受け付け中です。
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