2020年12月、学校法人関西学院の平松一夫理事長がお亡くなりになり、学院葬・お別れの会が先月執り行われました。UNHCR職員一同、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
平松理事長は「UNHCR難民高等教育プログラム(RHEP)」の生みの親のおひとりです。
日本に逃れてきた若者たちに学びの場を提供したいと、力強いリーダーシップのもと、RHEPの立ち上げ、全国の大学に先駆けての関西学院大学でのRHEP導入に貢献されました。
そして10年以上にわたり、難民の学生たちと寄り添いながら、一人ひとりの未来につながるサポートを続けてくださいました。
その軌跡は、2019年に行った平松先生へのインタビューでも詳細に語られています。その一つひとつのお言葉から、私たちもあらためて、難民支援の基本となる一人ひとりの想い、行動の大切さを学びました。
平松先生の多大な功績に感謝の意を表するとともに、平松先生とともにRHEPに携わった関係者の皆さんから追悼のお言葉をいただきました。ここにご紹介させていただきます。
「平松一夫先生の尊いお働きに感謝して」 舟木 讓 関西学院 院長
2004年5月、浅羽俊一郎氏(当時UNHCR日本・韓国地域事務所副代表)をお招きしての講演会後、同氏が平松先生に話された「日本の大学が難民を学生として受け入れてくれれば・・・」との言葉をきっかけに、平松先生はその実現に向けて尽力されました。そのご苦労をお聞きする機会がありましたが、自らを誇ることは一切なく、「多くの方々のご協力のおかげで実現できて良かった」と周囲の方々への感謝の思いを口にされておりました。
また本年3月28日、本学で実施した「お別れの会」に、RHEPによって、関西学院大学で学んだ卒業生6名が東京より、また現役学生2名も参加してくださり、その後、村田治学長も交えて、平松先生の思い出を共有する機会が与えられました。そこでは、在学中のみならず卒業後も平松先生が気にかけてくださり、今も「お父さん」のような存在であるとの心温まるエピソードを複数の方よりお聞きすることができました。
ここから平松先生はさまざまな課題に誠実に向き合い、自らのためではなく「援助を必要としている人」に寄り添い、その解決に献身され、本学のスクールモットー“Mastery for Service”を体現してこられたことが分かります。
残された私たちがそのご遺志を良き形で受け継ぎ、発展させる責務を感じますとともに、平松先生の尊いお働きに心より感謝をささげたいと思います。平松先生、本当にありがとうございました。神様のもとで平安の内に私たちをこれからも導いていただきますようお願い申し上げます。
浅羽 俊一郎 元UNHCR日本・韓国地域事務所副代表
平松一夫理事長が天に召されたと知り、ここに謹んで哀悼の意を表します。2004年故ルベルス国連難民高等弁務官の代理で関学を訪問し、そこで学生たちを前にUNHCR職員の清水康子・米川正子両氏と難民問題について語り、最後に代表して挨拶させていただきました。
卒業後も難民問題に関心を持ち続けてもらいたいと語った後、なぜか前々から抱いていた難民ユースの大学受け入れへの願いを思い出し、ついその思いをつけ足しました。すると最前列の端の暗がりから人の立ち上がる気配がして、「学長の平松です。あなたのチャレンジを受けて立ちます。難民を受け入れてみせます」と。驚きました。会場に居合わせた学生諸君も驚くと同時に、一瞬にして平松学長(当時)のお人柄に触れたことでしょう。
私自身はその後パキスタンのクエッタ市駐在になりましたが、そこへ東京の事務所からメールで関学が難民受け入れを開始することになったと聞きました。かの日の私の一言を聞かれた平松理事長の反射的な(と思えた)一言に何か奇跡を感じました。退職後何年も経って、初代難民学生の母親と、これも偶然出会い共に喜びました。難民の高等教育への道を切りひらいてくださった平松理事長には感謝の思いでいっぱいです。
清水 康子 関西学院大学教授(元UNHCR職員)
私は関学の卒業生でもあり、平松先生とは大学のインドネシア交流プログラムを通じて親しくさせていただいていました。その先生とUNHCRの仕事で浅羽副代表(当時)と同席させていただいたのが2004年。副代表が難民師弟を奨学生として受け入れてほしいと要請をすると、当時学長を務めておられた平松先生は、二つ返事で引き受けてくださったのです。その後、先生からもUNHCRからも進展を伺っていましたが、準備はなかなかたいへんな模様。もちろん容易ではないと分かったうえで先生はお引き受けくださったもので、関学はRHEPをスタートする最初の大学となりました。
今回、平松理事長のお別れ会に、RHEPの卒業生の方々が東京から何人もお見えになり、このことからも、先生が学生さん達と親身に接しておられたことがうかがわれ、平松先生らしいなぁと思いました。卒業生の方が口々に「父のようだった」とおっしゃったことが印象的です。先生が旅立たれた直後に、今度は私が関学で働かせていただくことが決まり、このタイミングの意味を感じます。
宮澤 哲 UNHCR駐日事務所 法務部
平松先生は、難民の定住促進についてその障壁を鋭く分析され、難民への奨学金事業という、当時非常に先進的かつ実効的な解決策を提示してくださいました。企画立案にあたっては、当時学長というお立場にあったにも関わらず、事業を担当する私たちの相談に耳を傾け、さまざまなご示唆をくださいました。平松先生の物事に取り組まれるお姿から、「思いやりと高潔さをもって社会を変革する」という精神とはこういうことなんだと、深く敬愛の念をもって学ばせていただいておりました。
平松先生のイニシアチブによって、奨学金事業が生まれ、その結果、多くの難民が高等教育を受けることができました。卒業を果たした難民たちが、平松先生の精神を受け継いでゆくと信じています。平松先生に深く、深く感謝いたします。
ラム マン 関西学院大学卒業生(RHEP学生)
2010年4月、私はRHEP制度の四期生として関西学院大学商学部に入学しました。平松一夫先生には、10月になり、先生が開いてくださった食事会の席で、初めてお目にかかることができました。その席で、先生から、RHEP制度を立ち上げた時、さまざまな困難があったことをうかがいました。大学に入ったばかりでへこんでいた私は、先生の言葉に励まされ、学業を全うすることを心に誓いました。
その後も先生は、毎年、食事会を開いてくださり、日本で生きていくために必要なマナーや考え方など、多くのことを教えてくださいました。
私が今、日本の社会で生きていくための基盤を作っていくうえで、先生の存在はとても大きいものだったと、今あらためて感じています。先生のおかげで「大学で学び、卒業する」という長年の夢を叶えることができました。
そして、先生の温かいお心遣いのおかげで、私は大学のスクールモットーで ある “Mastery for Service”を心に刻み、関西学院大学の卒業生であることを誇りに思い、日本の社会に飛び出すことができました。
卒業後もfacebookなどを通してお話しすることができました。先生は関学のミャンマー卒業生の会を作りたいとおっしゃっていました。その実現を心から願っています。
神の御許に召されました平松一夫先生が、安らかな眠りにつかれますようお祈りいたします。
関西学院大学卒業生(RHEP学生)
Dear Hiramatsu Sensei,
You approached us,
With neither the glass is half empty or half full,
But how fillable the glass is.
Your firm and comforting hands,
Unwavering support to fulfill our potentials.
You let me experience warmth,
Like that one blanket that warms me as I write my final paper from midnight to dawn.
To the many lives you have touched,
Your fingerprints are here to stay.
I am so grateful for your existence,
Thank you.
写真:関西学院提供