シリアで紛争が始まって8年。いまだ情勢不安が続いていますが、少しずつ安全が取り戻されつつあると、故郷へ戻る人たちも出てきています。
しかし、かつての故郷での生活は、新たな困難が立ちはだかっていました。
5人の子どもを育てるザヒダ(35)は、「最初は、自分の生まれ育った場所だとは思えなかった。言葉ではとても表現できないほど、街は変わり果てた姿になってた」と振り返ります。
ザヒダの育ったシリア西部の街ソーランは、かつては人口4万7000人、農業や商売を営む人々が暮らす穏やかな場所でした。しかし、2016年8月に武装集団に制圧され、一夜にしてすべてが変わってしまいました。隣国のトルコやレバノンに逃れた人もいれば、国内の別の街に避難した人もいました。
夫は数年前に紛争に行ったまま行方不明となり、ザヒダは子どもたちを連れてレバノンに逃れました。しかし、新たな土地で仕事を見つけることは難しいうえ、家賃も高く、厳しい生活が続きました。子どもたちにも、大きな負担を与えていました。当時14歳だった息子は、家計を支えるために学校を中退しましたが、それでも妹たちの学費をまかなえるほど十分な収入を得ることができませんでした。
シリアに戻ることを決心したザヒダ一家。しかし、シリアに戻っても生活が改善することはなく、二階建てだった家は跡形もなくなり、水道や電気の供給は止まったままでした。
3月初旬、フィリッポ・グランディ国連難民弁務官事務官がシリアを訪れた際、ザヒダは自分の家族が直面している現状を伝えました。
グランディ高等弁務官は、「難民や国内避難民にとって、帰還は決して簡単な決断ではないことを理解しなければならない。そして、自発的に故郷に戻ることを決断した人たちに対しては、UNHCRは基本的なニーズ、社会への再統合をサポートしていく責任がある」と強調しました。
ザヒダの長女は、新しくできたコミュニティーセンターの補習クラスに、3人の妹たちはUNHCRの支援で昨年11月に再開した小学校に通っています。この地域では5つの学校が授業を再開、いまだ15の学校は校舎の損壊により見通しがたっていません。
経済活動も回復までの道のりは長いものの、少しずつ光がさし始めています。今年1月、UNHCRの支援により、この街唯一のパン屋が開業。これまで20キロ離れた業者からパンを仕入れていましたが、一軒のパン屋ができたことで、45人の雇用を生み出し、街の人々は4分の1の値段で購入できるようになりました。
2018年の推計では、140万人を超える国内避難民が帰還し、近隣国から戻ってくる人も少しずつ増えています。しかし、いまだ多くの人は帰還を果たせておらず、数百万人規模の国内避難民に加え、近隣国に560万人、100万人を超える人たちがそれ以外の国に逃れたままです。
UNHCRは今後も、シリア紛争により避難を強いられた人々、自主帰還をした人々に対する人道支援を強化していきます。
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