アンジェリーナ・ジョリーUNHCR特使は2月初旬、バングラデシュ南東部のコックスバザールを訪問し、迫害や差別に苦しみ、ミャンマーから逃れてきたロヒンギャ難民の人権の保護、教育へのアクセス拡大を強く訴えました。
「ロヒンギャ難民がバングラデシュでその存在を認められ、政府とUNHCRにより、身分証明の発行が進められていることに感謝の意を伝えたいと思います。彼らは人生で初めて、自身を証明するものを手にするのです」
2001年から続くジョリー特使のUNHCRの活動現場の視察は64回目を迎えますが、バングラデシュは初訪問。ロヒンギャ難民と出会ったのは、2006年のインド、2015年のミャンマーに続き、今回で3度目となります。
ジョリー特使は滞在中、さまざまな場所を訪れ、難民たちの“生の声”に耳を傾けました。
「毎日危険を感じて眠れず、故郷を離れることを決意しました」
国境近くの一時受け入れ施設で出会ったジョリーナ(18)は、数週間前、友人と一緒にバングラデシュに逃れてきました。生まれてからずっと無国籍であるうえ、何年も前に母親を亡くし、昨年12月には父親が殺され、天涯孤独になってしまいました。ジョリー特使はその言葉一つひとつに耳を傾けていました。
世界最大の難民キャンプと言われるクトゥパロン難民キャンプでは、UNHCRが支援する2階建ての学習センターの子どもたちを訪問。子どもたちの両親に話を聞くと、ロヒンギャのほとんどが教育へのアクセスがなく、学校に通うことを禁じられたり、時にはそれが理由で課税されたり、物理的な脅威を受けることもあったと言います。
「自由に移動することも、集まってお祈りをすることもできませんでした。教育へのアクセスもなく、このような迫害は、祖父の時代から続いています」。
そう話すのは、8人きょうだいの長男ムジブール(22)。3日前に父親を脳卒中で失い、母親は1年前にミャンマーで捕らえられてしまい音信不通です。ムジブール自身もまだまだ若く、妻と小さな子どもがいますが、一家の大黒柱として10人家族を支えていかなければならなくなりました。
しかしそんなキャンプでの生活も、情勢不安が続く故郷に帰るよりは良いと言います。
ジョリー特使はキャンプ内で会見を行い、ロヒンギャ難民の権利の保護を強調しました。
「すべての人々は、安全に暮らし、宗教など自由を持つ権利があります。異なる民族が共生し、国籍を持ち、尊厳をもって生きることができるようになるためには、国際社会からのさらなる支援が必要です」
▶ くわしくはこちら(英語)