ブルンジ難民のボスコ(35)は、ウガンダ首都カンパラから約300キロ西にあるナキバレ難民居住地のクリニックで、看護師として働いています。ボスコは、1998年に救急救命士養成学校に入り、看護士を目指しました。紛争の最中、勉強に没頭したくても、その翌週には戦闘から身を避けたり、とても不安定な環境にありながらも、学位を取得しました。治安が悪化するにつけ、武装グループに取り込まれる危険を感じたボスコは、2001年に国境を越えてタンザニアに渡り、その数週間後にウガンダへと逃れました。
ボスコは、16年前にボランティアとして活動を始めた後、2005年から正社員として働いています。「自分のスキルを活かし、自分のやりたいことができていることに感謝の気持ちでいっぱいです。子どもの養育費も稼ぐことができ、ここで良い生活を送ることができています」と語りました。また、ボスコが癌であると診断されたとき、ウガンダの人々の寛大さを顕著に感じたと言います。ボスコの同僚は、ボスコがケニアで治療を受けるために必要な費用を集めてくれたのです。「彼らの助けがなかったら、私は今どうなっていたか分かりません」
ウガンダ政府は、難民に仕事、渡航の自由、教育や医療に加え、耕作や家を建てるための土地なども提供しています。ただ、ウガンダには現在125万人を越える難民が押し寄せ、この政策は崩壊危機に面しています。ウガンダの財政には限りがあり、国際社会からの支援なしにはこれ以上難民をサポートすることができません。そこで、世界銀行はウガンダ政府への5000万米ドルの貸付要請を承諾したほか、UNHCRは難民と受け入れコミュニティを支援するプログラムに3100万米ドルの資金提供を誓約しました。ただ、昨年のニューヨーク宣言の一部として盛り込まれた包括的難民支援枠組み(CRRF)に参加を表明した国々からのサポートも必要としています。
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