中央アフリカ共和国、バンギ発
中央アフリカ共和国から避難する際、両親と離ればなれになった少年ユスファは、待ち望んだ家族との再会を果たすことなく、栄養失調で命を落とした。
2013年3月、セレカ(イスラム系の反政府組織) が首都バンギを制圧して甚だしい人権侵害を行ない、反バラカ(キリスト教系民兵組織) との抗争が激化した。ユスファはこの衝突による犠牲者の1人だ。激しい暴力によって多くの人々が家を追われ、中央アフリカ国内や周辺国への避難を余儀なくされた。ユスファのように多くの子どもたちが、避難途中の混乱の中で家族と離ればなれとなった。
UNHCRは、保護者のいない未成年者や、家族と離ればなれになった子どもたちが一刻もはやく再会を果たせるよう両親や親戚探しに全力を挙げている。この取り組みは、庇護を求めた周辺国の政府と中央アフリカ政府が連携して行なっている。
ユスファの過酷な経験は昨年の2月に始まった。 武装集団から攻撃を受けユスファの家族は安全な場所を必死で探し、茂みに隠れて何ヶ月も歩き続けた。家族がカメルーンへ向かうトラックへ乗り込もうとしたとき悲劇は起きた。混乱の中で、ユスファの両親はトラックへ乗り込むことができたが、ユスファと二人の姉妹、また彼らの祖父が取り残されてしまった。
4人は攻撃を逃れて、首都バンギから北西へ200キロほど離れた小さな町に避難場所を見つけた。しかしその町の500メートル四方におよそ400人のプール族が軍に包囲された状態で暮らしてたため、結果的に家族は身動きがとれなくなり、外からの支援なしには生活できない状態に陥ってしまった。
状況が悪化するにつれて、ユスファは絶望的になっていった。彼は8ヶ月以上もの間両親に会えず、避難途中で目のあたりにした恐怖に苦しんでいた。更に深刻な栄養失調に苦しみ、支援者たちの励ましにもかかわらず、食べる意欲と力を無くしていき、 ユスファは亡くなった。UNHCRがカメルーンで彼の両親を探し出したが、両親が再会の時を待っている間にユスファの死が伝えられた。クアッシ・エティエン UNHCR中央アフリカ事務所代表は、「ユスファの死は、私たち全員に大変な衝撃を与えた」と話した。「私たちは家族の再統合に向けて、国内避難民が今どこにいるのか、場所を把握するため全力を尽くしている」と語った。
ユスファの残された姉妹たちのように、両親と離ればなれになった子どもたちが国内に14人、23人がカメルーンとチャドで特定され、UNHCRは家族再統合に向け努力している。
詳しくはこちら(英語)