インドネシア、メダン市、2013年11月4日発
迫害を逃れ、ボートで脱出する難民は、水も、食糧も、安全な場所にたどり着ける希望すらないまま海上をさまよう。海路で避難する難民の数は増えている。今年7月までに船でオーストラリアへたどりついた難民の数は1万7000人以上にのぼる。。さらに、8月までに2万4000人以上がボートでベンガル湾から脱出している。その内、400人以上が行方不明、もしくは命を落としたと見られる。なぜ多くの難民が多大なリスクを冒してまで海を渡って避難するのか、また難民が避難中に命を落とすという悲劇を繰り返さないために出来ることは何であろうか?
スリランカ東部で優秀な会計士であったシバ(仮名)はタミル・イーラム解放の虎(LTTE)とつながりがあるとと疑われ、二度も誘拐された。シバは別の町へ逃れたが、残されたシバの母親への嫌がらせが続いた。「このままでは殺されると思い、ボートで逃げようと決意しました」シバ(24歳)は密航を斡旋する人に2200米ドル以上支払い、9日間でオーストラリアへたどり着けると言われたボートに乗ったが、60人以上が乗ったボートは途中でエンジンが故障し、その後47日間海上をさまよった。シバは「15日分の水と食糧しかなかったので、その後は海水を飲んだり、魚を捕まえて飢えをしのごうとしました。しかし、2人亡くなり、遺体を海へ流しました。誰も陸にたどり着けるとは思っていませんでした。全員死ぬと思っていたのです。」と語った。7週間程沖で過ごした乗船者は、漁師に見つけられ、スマトラ島へつれていかれた。
ミャンマーの北ラカイン州に住むアブドゥル(18歳)は、ミャンマー市民として認められないロヒンギャ族である為、生活するのに苦労していた。2012年6月にロヒンギャに対する暴力行為が悪化したが、アブドゥルと兄弟はその1年前にボートですでに国を脱出していた。「行き先はどこでもいいから、とにかく安全な場所を見つけたかった」最初にアブドゥルがたどり着いた国はタイだったがタイの役人によって海へ押し戻された。その後ボートは18日間海をさまよい、通りすがりの漁師によって助けられ、インドネシア北部のアチェ市へと牽引された。
現在シバ、アブドゥルは二人ともメダン市付近の収容所に居るが、UNHCRによって難民として認められた。近いうちに国際移住機関(IOM)が管理する公営住宅へ移される予定だが、二人とも身の安全の為母国へ帰ることは無いと語った。UNHCRは二人が直面している様な問題を未然に防ぐため、地域との連携の重要さ訴えている。「誰が何に対して責任を負うのか。、難民が到着した後どのように支援するか各国が事前に決めていれば、リスクを軽減することができる」とUNHCR東南アジアの地域調整官ジェームス・リンチは訴えた。さらに、今年3月にUNHCRとインドネシア政府共催で行なわれた14ヶ国の地域会議でリンチ調整官は、「連携を強化する上で、難民を生み出している国は人々がボートで脱出するに至る原因を明らかにし、受け入れ国は難民の安全を確保する必要がある」と呼びかけた。
「母国が抱える問題に巻き込まれ、私は人生の24年を無駄にした。機会があるのなら勉強したい。命の危険を感じることなく生きて行きたい。」とシバは発言した。
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