パキスタン、4月27日発、
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)とスイス政府は、アフガン難民・避難民の状況について議論する国際会議をジュネーブで開催する。「アフガン難民問題への戦略的解決へ向けた国際会議」は、アフガニスタン国内外へ避難する人に対する再統合の支援方法について議論する。
以下、一人のアフガン難民に対してUNHCR職員が行ったインタビューである。彼は、今週家族とバグラーン州の家に帰るまでの18年間を難民としてパキスタンで過ごしていた。彼は、10年間を町工場で働いていたが、閉鎖後、日雇い労働者として生計を立てていた。 彼とその家族は、2002年よりUNHCRが帰還を支援する400万人近いアフガン難民の一人である。
なぜ今アフガニスタンに帰還するのですか?
アフガニスタンで医療機器の輸入を取り扱う代理店での仕事があるので帰還します。パキスタンから自分の意志で帰ることにしたのは仕事があるからです。以前はパキスタンとアフガニスタンを行き来していましたが、今回は家族も一緒です。私には2人の息子がいますが、彼らが自立し、この国を再建していけるよう、工場や病院での仕事を見つける手助けをしたいと思っています。
故郷ではどのような生活を期待していますか?
20年前に母国を追われた時は、紛争の真っ只中でした。ですがそれから状況は大きく変わりましたし、今後もさらに状況が好転するように願っています。アフガニスタンには国際社会が一緒です。彼らの持続的な援助により、アフガニスタンは自立し、繁栄することでしょう。
あなたの将来の計画は何ですか?
私たちの事業を徐々に広げていき、息子たちや私のビジネスの機会を掴んでいきたいと思っています。そのようなチャンスがめぐってくることを願っています。
国際社会からの長期的な援助により、アフガニスタンはさらに繁栄するでしょう。NATO軍がアフガニスタンを撤退する2014年以降どうなるか、状況が好転するか否かは私には分かりません。
パキスタンで難民としての生活はどんなものでしたか?
良かったですよ。家を借りて平和に生活していました。ここで働いていましたし、子供たちも学校に通っていました。そして今、自分の意志で、幸せにアフガニスタンへ発つのです。パキスタンの人たちは私たちを難民ではなく兄弟のように接してくれ、とてもうれしく思っています。私が今晩アフガニスタンに帰還すると伝えると、パキスタン人の近所の皆さんは涙を流し、真夜中までトラックへの積荷を手伝ってくれたのですよ。私は、彼らの親切なもてなしに深く感謝し、同時に何か傷つけてしまっていたら許してほしいと伝えました。彼らは幸運を祈り、別れを告げてくれました。ここでは良い時間を過ごしました。
何が原因で他のアフガン難民は帰還をしないのだと思いますか?
こちらの方が経済的にもいい機会があるからです。トラックの運転手や工場で働いている人たちもいます。難民登録証(アフガン難民に向けて政府が発行し、有効期限は2012年末)が更新されず、警察からの圧力が始まれば、帰還しようという難民は増えるかもしれません。
ここで暮らすアフガン難民は、自国に帰還後するよりも幸せな生活が送れると思っています。なぜなら、ここでは平和に生活をし、子供たちも学校に通うことができるからです。多くの難民はここで幸せなのです。
もし来週のアフガン難民問題についてのジュネーヴ国際会議にメッセージを送ることができたら、何を伝えたいですか?
この国際会議において、UNHCRや国際社会がアフガン難民の問題に対して恒久的解決策を見出せることを願っています。私たちはアフガニスタン国内で、よりよい雇用機会が必要です。もし国内に仕事があれば、イラン、パキスタンなど、国外に避難する必要はないのです。もし家に少しでも食料があれば、自らの命を危険にさらしながら、海やジャングルを彷徨うことはないのです。
アフガニスタン国内での状況が良くなれば、難民も戻ってくるでしょう。
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