UNHCR駐日事務所では、各部署で常時インターンが活躍しています。
2024年8月から渉外インターンを始めた大学生の武田詩織さんは、国内外での生活を通じて、さまざまな背景を持つ人たちとの交流を重ねてきました。そのなかで次第に、「多文化共生」が、自身の人生のテーマになったといいます。
今回は武田さんに、多文化共生、そして人道支援に関心を持つようになったきっかけ、UNHCR駐日事務所でのインターンなどについて聞きました。
引っ越しを繰り返した
子ども時代
両親の仕事の関係で、小さいころからたくさん転校しました。生まれは沖縄、その後は東京、そして三重で小学校に入学して、2年生の時にイギリスに引っ越すことになりました。私自身は海外に行くということはあまり意識していなくて、周りからは少し心配されましたが、ただ新しい場所に行くのが楽しみという気持ちが強かったです。
イギリスでは現地の小学校に通い、最初はみんなが話していることも、授業の内容も、まったく分かりませんでした。それでも、みんなと友達になりたいという気持ちが強く、千羽鶴を折ってプレゼントしたり、猫の鳴きまねで、うれしい、分からないといった、自分の気持ちを伝えたりしました。そうしているうちに、自分でも不思議だったのですが、1カ月後には聞き取りが、3カ月後には会話ができるようになっていました。
そうして比較的早く環境になじむことができたので、しばらくは海外にいることを意識せずに生活していましたが、今でも鮮明に覚えている出来事があります。ある日、授業で第2次世界大戦について学びました。当然、イギリスの歴史を中心に学ぶのですが、世界各国で犠牲になった人々の数を示したリストに日本も含まれていました。先生が「これが詩織の国だよ」と紹介した瞬間、自分は他のクラスメイトたちとは違う国の出身なんだと。初めて、国籍や文化の違いを意識するようになりました。
イギリスで2年半過ごした後は宮崎に引っ越して、ここで経験したのが 、“逆カルチャーショック”です。イギリスの教育と日本の小学校生活の違いに驚き、また、イギリスから来たのに日本語が話せる、というだけで不思議がられることもありました。振り返ると、多文化共生について考え始めたのは、この時期からだったと感じます。
人に尽くす仕事に
関心が芽生える
中学への入学を機に東京へ引っ越し、また新たな環境での生活がスタートしました。東京では、これまで以上に多様な背景、特に外国籍の方々と交流する機会が増えました。日本人の私でさえ、イギリスから帰国した時に文化や生活環境の違いに苦労した経験があったため、異国の地の日本で生活する人の苦労は容易に想像できました。
医師である両親の影響もあり、幼いころから「人に尽くす仕事」には漠然とした関心を抱いていました。何か自分にできることはないかと常に考えていて、相談した母親の紹介で、炊き出しや学習支援のボランティアを始めました。思い通りに気持ちが伝わらず苦労することも多かったですが、力になりたいと思っていた私自身が学ぶことが多く、その経験は大きな財産となりました。
高校での活動もそこからつながっています。学年をこえて社会課題に取り組むプロジェクトに参加し、ユニクロの「“届けよう服のチカラ”プロジェクト」と国連UNHCR協会の「難民映画祭パートナーズ」に関わりました。これがUNHCRとの最初の出会いです。
「服のチカラ」は中学生の時に先輩たちが取り組んでいた姿を覚えていましたが、自分が活動をリードする立場になることは新たな挑戦でした。なぜ世界各地で難民が服を必要としているのかを伝え、文化祭や近隣の保育園に協力を呼びかけた結果、前年の3倍以上の服を集めることができました。大きな達成感を感じた瞬間でした。
「難民映画祭」は、JICAの海外協力隊から戻ったばかりの先生の紹介で、私の学校では初の試みでした。ロヒンギャをテーマにした映画を上映することになったのですが、当時の私は難民問題について深く知らなかったため、ロヒンギャの方が講師を務める大学の講義に参加しました。そこで直接、当事者から語られる経験にふれることで、その言葉の重みと重要性を強烈に感じました。その気づきから、学校での映画祭では上映後のトークセッションを企画し、その方をお招きしてお話しいただきました。映画を観るだけでなく、当事者の声を届ける場をつくれたことは、私自身にとっても忘れられない経験でした。
インターンシップを通じて
自分の適性を知る
大学は「多文化共生」を深く学べる学部を選びました。2年生の途中から多文化共生が進んでいるカナダに約1年留学しました。そこで学んだのは、地理的にも文化的にも日本とは大きく異なるカナダの事例を、そのまま日本に適用することは難しいということでした。カナダも多くの課題を抱えながら、多文化共生を模索し続けている現状を目の当たりにしました。
留学から戻ってきて、自分の将来について少しずつ具体的に考え始め、たどり着いたのは、やはり私は「人道支援の仕事」に一番関心があるということ。といっても、現場を直接見たことがなく、自分に本当に合っているのか確信が持てませんでした。そこで、インターンシップを通じて実際に経験してみようと思い、最初に見つけたのがUNHCR駐日事務所のインターン募集でした。これは自分の思いを行動に移す第一歩だと、すぐに応募を決めました。
私が所属している渉外部は、日本国内のパートナー、たとえば政府や自治体、NGOやユースなどとの連携をリードしている部署です。インターンの業務は、パートナーとの連携に必要なリサーチや資料づくり、会議の議事録の作成、イベントの運営補助、ニュースクリッピングなど幅広く、勉強の日々です。
インターンを始める前にUNHCRについてはしっかり調べていたつもりでしたが、実際に働き始めてみると、初めて知ることがたくさんありました。たとえば、9月にレバノンで発生した緊急事態に対して、日本政府が決定した無償資金協力や物資協力もその一つです。私が関わったのはプレスリリースが発表される段階でしたが、緊急事態が発生した直後から、部署内の会議で議論が始まり、関係者との調整が始まりました。その一連の流れの中で、実際に支援が現場に届けられるまでの過程を垣間見ることができ、緊急支援の背後にある仕組みについて学ぶことができました。
そのほかに、最も印象に残っている仕事の1つは、UNHCR駐日事務所が主催した松江市での映画上映会とトークイベントです。自治体や大学と連携したこの企画は、高校生の時に取り組んだ難民映画祭を思い出させるものでした。私はポスターのデザイン、イベント企画、現地での運営補助、写真撮影などの業務を担当しました。地方での集客の難しさを感じる場面もありましたが、参加者から寄せられたコメントはどれも心に響くもので、時間をかけて準備してきた努力が実を結んだと実感することができました。UNHCRの「難民を支える自治体ネットワーク」の活動は知っていましたが、今回の体験を通して自治体での啓発活動の重要性を知ることができ、目に見える成果にやりがいを感じました。
UNHCR駐日事務所でのインターンを通じて、人道支援についてだけでなく、さまざまな立場で携わる方々の苦労や情熱について知ることができました。そして、将来は人道支援の仕事に携わりたいという思いが、より一層、強くなりました。インターン終了後は、大学に戻り難民をテーマに卒業論文を作成する予定です。そして卒業後は、まずは現場での仕事をどこかの国で経験し、難民の現状を学び、自分ができることを考えてみたいと思っています。
私にとってインターンは、自分の可能性を見つけ、成長を感じることができる場でした。日本にいながら、レバノンやシリア、ウクライナなどの現状を知り、視野を広げることができる貴重な機会でもありました。もし応募を迷っている人がいたら、ぜひ一歩を踏み出してほしいと心から伝えたいです。