アナ・ルース*は今でも鮮明に覚えています。1年もたたないうちに2回目となる避難、家族と発砲から逃げようとするなか、夫が殺された日のことをー
ミャンマー軍と他の武装勢力の争いは、当時一家が避難していたミャンマー南東部カヤー州の州都ロイコー近郊にまで達していました。アナ・ルースは子どもを連れて、村人たちと近くの森に隠れましたが、夫と近所の数人は食料や必要なものを取りに戻る、と言うのです。
「危険すぎるから行かないでと言ったんです。でも夫は聞こうとしませんでした」と振り返ります。「夜になって他の人は戻ってきたのですが、夫はいませんでした。そして後で、避難していた義母の家から物を持って出ようとする時に撃たれたことを知ったのです」。
カヤー州では2021年5月に武装紛争が再び勃発して以降、人道危機が広がっています。7つのタウンシップのうち6つが激しい争いの影響を受け、何万もの人が家を追われました。お祈りの場所やコミュニティセンターに安全を求めて避難した人もいれば、いまだジャングルに身を潜めている人もいます。
ミャンマー全土では、ミャンマー軍、民族、地元の武装勢力の衝突によって同じような状況が起こっており、新たな強制移動の波が押し寄せています。2021年2月1日に軍が権力を掌握してから、空爆、爆撃、村々の焼き討ちから約44万人が国内で避難を余儀なくされ、うち半数以上が南東部でカヤー州やカイン州など最も影響を受けている地域です。
アナ・ルースと家族は、カヤー州の多くの住人のように、この1年で何度も避難を余儀なくされてきました。「2021年6月以降、私たちは逃げ続けています。最初はデモソの自分の村からロイコーの義母の家へ、そこから森の中に逃げて数カ月いました」。
4人の子どもを持つ未亡人となり、その数週間後にカヤー州全土で争いが激化し、ロイコーの別の村に安全を求めて逃れました。とにかく安全な場所へ、次どこに行けばいいかも分かりませんでしたが、他の避難する家族について行き、隣のシャン州に移りました。
「こんなことが自分に起こるなんて想像もしていませんでした。以前は自分の村で家族と幸せに暮らしていたのに、子ども以外のすべてを失っていまいました」
現在は僧院に身を寄せています。ミャンマー全土で情勢不安が続く中、このような場所では地元のコミュニティ、慈善団体が連帯を示して人道支援を率いています。最善の努力は続けられていますが、避難者が増えてくるにつれてリソースは枯渇していきます。
UNHCRは今年に入ってからカヤー州からシャン州に逃れてきた約3万人を救うために、地元のパートナー団体、コミュニティと連携し、現状の人道支援の負担を分担しながら、草の根レべルの活動を支えています。最近、シャン州の州都タウンジーに一時的な拠点を立ち上げ、域内での緊急支援の分担や基本的な日用品や衣服の不足の対処などの調整を行っています。
この数週間、カヤー州から避難を強いられた人は約1万人、シャン州の7つのタウンシップに散らばっており、毛布、キッチンセット、蚊帳、ジェリー缶、バケツ、スリーピングマット、防水シート、越冬キットなどが配布されました。地元の人々も善意で、歯ブラシや石けん、シャンプーなどを寄付しています。
着の身着のまま逃れてきたアナ・ルースも、このような支援にとても感謝しています。「私たちはクリスチャンなので、最初は仏教の僧院に避難できるかどうか分かりませんでした。でも僧侶の皆さんは私たち全員をあたたかく迎え入れてくれました。今は他に避難してきた人たちと仲良く暮らしています。いただいた毛布、バケツ、マット、衣服はとても役立っています。持ってくることができたのは、子どもたちの服を数枚だけでしたから」。
カヤー州での紛争は収束の兆しがなく、この数週間、数カ月で、シャン州への強制移動が増えると予測されています。
アナ・ルースは避難先を見つけることができてひとまず安心していますが、自分の故郷であるカヤー州に戻りたいというのが本当の願いです。「子どもたちはいつ家に戻れるの?と聞いてきます。すぐに戻れる日が来ることが願っています」。
*難民保護の観点から仮名を使用しています。
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