日本政府が提供しているさまざまな制度を通じて国連に飛び込み、その後も現場で活躍を続けている日本人職員がたくさんいます。
今回は、国連ボランティア(UNV)、JPO(Junior Professional Officer)を経験した後、ネパール、パキスタンでのUNHCRの現場を経て、現在UNHCR駐日事務所で渉外担当官を務める渡邊温子のキャリアパスをご紹介します。
■国連職員を志すきっかけとなった1枚の写真
父が英語の教員をしていたこともあり、小さいころから漠然と海外にあこがれを持っていました。一つの転機となったのは高校3年の時、コソボ紛争が発生し、そのニュースを取り上げた新聞の一面で見た写真でした。ある日突然、家を奪われて馬車で移動しながら泣いている小さな男の子、本当に衝撃でした。当時受験生だった私は、毎日学校に行って、家に帰って勉強しての繰り返しだったのですが、そんな生活も決して当たり前でなく、幸せなことなのだと。生まれた場所や環境が違うだけで差が起こることは良くないと、強く感じたのを覚えています。それから、自分も何か力になれることはないかと考え始め、いつの間にか国連職員が私の夢になりました。
■大学進学、スキルを付けるために教育現場へ
大学では国連用語の一つであるスペイン語を専攻し、合わせて専門分野も必要だと思い、国際法のゼミに入りました。進路を考える時期になって、新卒では国連職員は難しく、まず手に職をつけるにはどうしたらよいのか悩んでいました。そんな時、JPO出身で大学の先生をされている方に相談にのっていただく機会があり、国連で必要なスキルなどについてアドバイスをいただきました。
私自身、大学で教職を取っていたこともあり、また父の影響で教職が身近であったため、今つけるべきスキルは「教育」だと、一番しっくりきました。その方からも、教育現場で経験を積むことは国連職員へのキャリアの一歩として役立つはずだと背中を押していただき、卒業後は中学校の教員として働き始めました。
教員としての3年はとても貴重でした。実際に日本の教育システムの中に身を置き、学校がどのように運営されているのか、授業をどのように組み立てて実施するのか、自ら経験できたことは、国や地域によって制度の違いこそあれど、その後の現場での仕事にとても役に立ちました。地方の学校で生徒たちも海外との接点はあまりなく、その心理的な距離を知ることができたことも大変勉強になり、当時の日本における国際教育の必要性についても痛感しました。
■UNVとして初めて国連の現場へ
教員として経験を積んで大学院に進み、外務省が実施する「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」に応募しました。平和構築・開発分野のキャリアを目指す若手を対象とした「プライマリー・コース」は、約5週間の国内研修に加えて、約1年間の海外派遣でUNVとして現場が経験できることが魅力でした。
国内研修では、国連での勤務経験がある講師の方々から、現場で必要なスキルを実体験を交えて学ぶことができました。また、日本人だけでなく、世界各地から来たさまざまなバックグラウンドの若者たちと机を並べて学ぶことは、国連で働く環境にも似ていました。
そして、ユニセフ ウガンダ事務所のボランティア担当官としての派遣が決まりました。まさに教員としての経験を生かせる場でした。私が担当したのはトゥルカナ族という牧畜民が多く暮らす地域で、子どもの教育に社会的価値が置かれていませんでした。どちらかというと“じゃま”な存在と考えている親も多く、正規の教育だけでなくさまざまな学びの選択肢を設け、その両輪を走らせながら、地域と学びの場をつないでいくのが役割でした。
夢に見た最初の国連の現場、赴任してすぐにマラリアに感染したことは、今では良い思い出ですが(笑)当時は本当に苦しかったです。首都からも離れていて、電気も1日5時間くらいしかつかない。野菜も3種類くらいしかなく、同じものばかり食べているような生活・・・。でもすべてが充実していました。現場ではUNVでも他のスタッフと差なく仕事を任せてもらうことができ、仕事、出会う人、なにもかもが新しく学びにあふれた1年でした。あらためて自分の夢を確信するとともに、まさにこの時の経験がその後のキャリアの道しるべとなりました。
■JPOを経てUNHCR職員の道へ
NGO、在外公館での勤務を経て、JPOとしてUNHCRの南スーダンの現場に准プログラム担当官として派遣が決まりました。これがUNHCRとの初めての出会いです。UNVの時に派遣されたユニセフも緊急・人道支援の側面がある組織であったためか、特に違和感なく、UNHCRの現場で仕事をスタートすることができました。
プログラム担当官は、現場のニーズを基に、予算や計画の作成、関係機関との調整、モニタリングを行います。間口が広く、それがおもしろさでもあるのですが、最初のころはなにから始めていいのか分からず試行錯誤の連続でした。でも、実際に難民居住区に足を運び難民とも会う機会が多くあり、彼らと直接話をすることで、自分の目でニーズを確かめることができ、それらをどうやって計画に落とし込んでいくかなど、必要なことが見えてきました。
また、当時は南スーダンが独立した直後で、国外に逃れていた難民が故郷に戻り始めていたところでした。よく覚えているのが、船で大合唱しながら戻ってくる難民たちの姿。避難してもう何十年もたっている人もいるのに、故郷に戻ってくることがいかに特別なことをなのかを肌で感じ、難民とはどういう人なのかが、少し分かったような気がしました。
JPOの後はまた教育分野で国連職員を目指すことも考えていたのですが、引き続きUNHCRでプログラムの仕事を続けることにしました。日本人が得意とされるきめ細かい作業が私には合っていたんだと思います。プログラム担当官は、難民保護、生計向上などそれぞれの分野を専門とするUNHCRの担当とパートナー団体と協議・調整を行い、具体的に計画を作り上げていきます。難民にどのように裨益をするのかをモニタリングし、問題点が見つかったら修正する立場でもある。責任を感じるとともに、大きなやりがいも感じています。
そしてなによりもUNHCR職員として、自分の生まれた国から保護を受けることができない、世界で最も脆弱な立場にある人々を支援することは、本当に意義深いことだと思っています。
現在はUNHCR駐日事務所の渉外担当官として日本政府との窓口を担当しており、これまでとはまた違う分野ですが、現場で得た経験を基に政府の担当者に説明を行ったり、日本の皆さんにも難民支援の現場の話、現状を伝えることができ、大変意義のある仕事だと感じています。また、難民支援に貢献を果たしてくださる政府・ドナーの視点を知ることで、UNHCR職員としての仕事の幅が確実に広がり、とても勉強になっています。
■平和構築・開発・人道分野のキャリアを目指す若者にメッセージ
この分野の仕事に就くにはいろいろなキャリアパスがあり、まずは、いろいろな経験を積んでいくことが大切です。私自身は、興味のある分野と自分の能力を見ながら、次にどのステップに進むべきか、どのようなスキルを習得すべきか考えてきました。
そして、人生の要所要所で必死に目の前のことに挑戦し前に進むことで、国連職員として平和構築に貢献するという夢をかなえることができました。その過程で、UNVやJPOとして国際機関の現場で経験を積むことができ、それはやはり大きな財産となったと思います。あきらめずにやっていれば、必ず自分の納得いく道がひらけてきます。ぜひがんばってください!