コロンビア北部、国境近くの都市ククタ。ベネズエラから逃れてくる人たちの主要な入国ポイントの一つであるこの場所で、世界最大の強制移動の危機への対応に奔走しているのは、UNHCRコロンビア ククタ事務所の丸山篤子准保護官。援助協調ユニット長として、国境地帯での50以上の支援機関の援助協調に従事しています。
6年前までは日本での民間企業に勤めていましたが、大きなキャリアチェンジを経てUNHCRに。彼女を人道支援の道へと突き動かしたのは、世界90カ国を訪れたバックパッカーとしての経験でした。今回は、人道支援を志したきっかけとククタ事務所での仕事について話を聞きました。
― なぜ人道支援を仕事を志したのですか
民間企業で働いていた30歳の時、それまでの人生を振り返って、何ができたのか、何ができなかったのか、そして、できなくて後悔していることは何かをリストアップしました。できなくて後悔していることとして真っ先に思い出したのが、20歳のころのバックパッカーの旅で出会ったパレスチナ難民やコソボ難民のことでした。日本に帰ってからも、個人的に話す機会があれば彼らの状況についてプレゼンなどをするようにしていたのですが、全然足りていないと後悔していることに気づきました。
当時勤めていた会社は、上司、同僚たち、仕事にもとても恵まれ、毎日がチャレンジングで満足していたのですが、10年たっても忘れられなくて後悔しているのなら、20年、30年たっても同じだろう、このまま後悔する気持ちを引きづっていくのは嫌だと思い、キャリアチェンジをしようと決意しました。その後、大学院、WFPパキスタンでの勤務を経て、今に至ります。
― ククタに赴任して2年、特に印象に残っていることは
この仕事をしていると、悲しい話をたくさん耳にします。迫害、暴力、食料や保健などのサービスにアクセスできずに苦しんだ話、家族が離ればなれになってしまった話などです。
一方で、他者を思いやる気持ちというか、連帯の素晴らしさに驚くことも多々あります。コロンビアは長年の国内紛争を経験した国で、国内避難民もたくさんいます。かつて国内避難民としてククタに逃れてきた人たちの中には、今回のベネズエラ危機で逃れてきた難民たちを自分の家に迎え入れているケースもあるのです。それも、見ず知らずの難民たちを迎え入れているケースもあったり。彼らは「かつての自分たちと重なるから、彼らの辛い気持ちが分かる。私たちも、かつて国内避難民として逃れてきた時は地面で寝たりしなければならず、ここのコミュニティの人たちに助けられてきた。だから、自分たちにできることはできる限りしたい」と言うのです。
ほかにも、印象的だったことはたくさんあります。例えば、食料配給する場所で出会った3人のベネズエラ人の少女たちの満面の笑顔。彼女たちは半年間、飲み物は水か、数滴のレモンをたらしたレモン水しか飲んでいなかったらしいのですが、その日彼女たちは久しぶりにヨーグルトドリンクを口にしました。本当にうれしそうな顔をしていて、私まで幸せな気持ちになりました。
また、道を歩いているとUNHCRのベストを着ている私を見つけて「あなたたちのおかげでシェルターに入れた」「あなたたちのおかげで家族が保健サービスを受けられて死なずにすんだ」と駆け寄ってきてくれる人たちもいて、この仕事をしていてよかったと思う瞬間です。
― 仕事での一番の学びはなんですか
UNHCRの同僚たちからは、本当にたくさんのことを学ばせてもらっています。国境近くや事務所にある難民・移民向けの相談ブースには、毎日ベネズエラからの難民や移民がたくさん訪れます。彼らの話を聞いたうえで、コロンビアで難民申請をするにはどうしたらいいか、住居、食料、医療サービスにはどうしたらアクセスできるかなど、彼らのニーズに合わせた情報やサポートを提供しています。
ここで業務を担当している同僚は、あたかも難民たちが自分の家族であるかのように、本当に親身になって接しています。これほどまで裨益者との距離が近い援助機関は他にはないのではないでしょうか。法的知識はもちろん、人間としても、同僚たちから日々吸収することばかりです。
― 仕事で一番難しいと感じていることは
ベネズエラから逃れてきた人たちのニーズや状況を、外部の人たちに理解してもらうことの難しさを感じています。紛争や戦争、自然災害などの影響を受けている国と違って、ベネズエラには爆撃を受けた街もなければ、爆弾や銃撃で負傷した人もいません。それゆえに、危機の深刻さを伝える難しさがあります。でも実際は、数百万人もが強制移動を強いられ、過酷な状況にに追いやられています。同僚たちや援助関係者も昼夜を問わず働いていますが、数百万人という難民や移民のほんの一握りしか支援できていないのが実態です。もっとベネズエラ危機について知ってもらい、必要な人が支援を受けられる状況にする必要があります。
ドナー政府やメディアなどの外部の方々が視察に来た時は、必ず難民たちの話を直接聞いてもらうようにしています。そうすることで、難民たちが置かれている状況をより理解してもらえると感じているからです。そして、話を聞いた後はほぼ全員が「自分たちが想像していたよりも状況は深刻だった。彼らが支援を得られるよう協力したい」と言ってくださっています。
― 自分が誰かに支援できたと感じたことは
赴任してすぐのころ、ククタ市内の公園である少女に出会いました。ひとりぼっちで、今にも泣き出しそうにしていました。話を聞いてみると、友達とベネズエラから歩いて来たけれどみんなどこかに行ってしまったので、自分ひとりで500キロ以上先の首都のボゴタまで歩くつもりだと言うんです。ククタには知り合いが誰もいなくて、足元はサンダル、携帯電話もお金も持っていませんでした。
首都まで歩いて行くとなると、海抜は3,000メートルの山々を越えなければならず、気温も零度くらいになります。彼女は首都までの距離や旅程についても知らない状況で、「コロンビアでお金を稼いでベネズエラにいる家族を助けないと」という一心で、首都を目指そうとしていたのです。
私は同僚に連絡して、UNHCRのパートナー団体からの支援を受けられるように手続きを進めました。そのままシェルターに連れて行って、食料や心理的・法的サポートなどが受けられるようにしました。シェルターにいる人たちが、一人ぼっちの彼女を温かく迎えてくれて、ほっとしました。
― 人道支援に携わりたいと考えている人にメッセージをお願いします
まずは、自分が人道支援に携わりたいと思っている気持ちを大切にしてください。現場にいて思うことは、本当にいろいろな専門性を持った方々がいて、関わり方は多様だということです。同僚たちの中には、人権、国際法、教育、保健、ジェンダー、シェルター、政策、生計手段、プログラム管理、ロジスティクス、調達、総務、人事など、多様な専門性を持っている人たちがいますし、ベネズエラ難民支援には、現地政府や援助機関だけではなく、民間企業、各国政府、メディア、市民社会がさまざまな立場から関わっています。今後はさらに異なる専門性支援や、組織間の連携が必要となってくると思います。どの側面から自分が関わりたいかを考え、支援を必要としている人たちのためにぜひ力を貸していただけたらと思います。
私自身は、常に自分は“小学校一年生”だと思って仕事をしています。人道支援の現場で経験やスキル不足に悩まされ葛藤してばかりで、学ぶことばかりだというのもあるのですが、「自分は分かっていない」と思うことの大切さを感じています。支援を必要とする人たちに寄り添い、関係者と協力しながら状況やニーズを理解することで、支援を必要とする人たちや関係機関がどんなポテンシャルや能力を持っているか、それを踏まえた上で自分たちは何をしなければならないか、などが見えてくるからです。
また、誰のために、何のために仕事をしているのかを忘れないことも重要だと思います。忙しくて自分の目先のことしか見えなくなることは多々あるのですが、そういう時は、決まってバックパッカー時代に出会ったヨーロッパ、中東、アジアなどの難民たちや、業界を問わず難民支援に携わっている同じ志をもつ人たちが連絡をくれるんです。前向きに頑張っている彼らから良い刺激をもらい立ち止まる時間を持つことで、初心を思い出させてもらっています。
困難に直面している一人ひとりが権利を享受できるように、これからも微力ながら同僚たちや関係者と協力して頑張っていきたいと考えています。
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