ケニアで最初の感染者が報告されたのが3月13日。それから約3週間後、ケニア政府から、公共の場所でのマスク着用の要請が発出されました。
たった一晩のうちに、洗って使える布マスクが、ケニアで一番必要なアクセサリーになったのです。
このニュースを聞いて立ち上がったのは、コンゴ民主共和国から逃れてきたサミル(24)。ケニア北西部のカクマ難民キャンプで洋服のデザインと仕立てを仕事としている彼は、自分のスキルを生かせると思いました。
「マスク不足を知って、インターネットでマスクのサンプルを調べました。自分のスキルとこの地域で手に入る布があればマスクが作れる。私たち難民も、支援に頼るだけでなく、この危機の中で貢献できることがあると示したかったんです」
柄がプリントされたアンカラ布を使って、サミルは3人のスタッフとミシンでマスクを作り始めました。1週間もたたないうちに300枚のマスクを完成させ、カクマのUNHCR事務所のスタッフに届けました。サミルの店に足を運ぶことができない難民や地元の人にも配りました。
「ひとつの空間に多くの人と暮らしている私たち難民は、誰がウイルスを持っているのかを知るのは簡単ではありません。ソーシャル・ディスタンスを保つことも難しい。自分たちを守れるのは自分たちなのです」
世界中に新型コロナウイルスの感染が広まり、多くの国でマスクの着用が必要とされるなか、世界各地の難民たちが行動を起こしています。
ドイツのポツダム近くの町では、地元の病院の看護師にマスクを届けようと、シリア人の4人家族が日夜作業に励んでいます。中心となっているのは仕立てを本業とするラシド。妻のファティマと2人の娘は生地を切ったり、完成したマスクを仕分けたり、数えたりするのを手伝っています。
マスク用のゴムがなくなった時、力になってくれたのは、2015年にこの町に避難してきた時にも助けてくれた人たちでした。
「ガーデニングの情報交換をしているWhatsAppのグループに妻が呼び掛けると、1時間後には郵便受けがゴムでいっぱいになりました。町の半分の人は協力してくれたのではないでしょうか」
ラシド家族の奮闘を知り、取り組みを継続するための資金提供を申し出る人もいました。でも断りました。お金がほしいからやっているのではないと。
「私たちは、この町の人たちに本当に温かく迎えてもらったんです。住む場所を見つけ、仕事も得て、子どもたちは学校にも行くことができています。ドイツに恩返しができれば、私たちはそれでうれしいんです」と妻のファティマは話します。
マスクのほかにも、世界中で医療従事者が個人防護具(PPE)の不足に直面しています。
マレーシアの社会ビジネス「Earth Heir」では、国内の病院やクリニックの最前線で働く医療従事者がビニール袋でPPEを作っていることを知り、難民も巻き込んで行動を起こそうと決めました。
Earth Heirの刺しゅうの雑貨やアクセサリーは、UNHCRが立ち上げた難民の職人が手掛けた製品のグローバルブランド「MADE51」でも人気です。
感染防止策を十分にとってワークショップを開き、アフガニスタン、ミャンマー、シリアからの難民が協力して、ガウン、ヘッドカバー、靴カバーなどのPPEセットを作っています。
難民の職人の一人、アフガニスタンから逃れてきたサジャドは、1日15~20のPPEセットを作り、パンデミックの影響で失った収入を十分補えるほどの稼ぎを得ています。「この状況下で、マレーシアに恩返しができることを誇りに思う」と話します。
さらにEarth Heir は、病院からベッドカバー4000枚の注文を受けました。製作を担うのは、ユニクロの支援によるUNHCRの生計向上プログラムで裁縫を学んだミャンマーから逃れてきたチン族のグループです。
世界各地でロックダウンが実施され、難民の生活に大きな影響をもたらしています。
ニジェールの首都ニアメ郊外に暮らすマリ難民のファトゥマは、伝統的なツアレグ革製品の職人です。しかし外出禁止令が発令され、街がロックダウンされてから、彼女のお店の営業は厳しい状況です。
「みんな家を出るのを怖がって、最近は誰も私の製品を買いに来てくれません。売ることができなければ、食べるお金も得ることもできません」
そこでファトゥマは、ニアメでマスクの着用が義務化された当局の決定に機会を見出しました。マスクを作って、ニアメの街角に出ている出店に卸し始めたのです。
「1セット300西アフリカフラン(0.5米ドル)で売っています。間に合わせの仕事だけど、3人の子どもたちのためにも、稼ぎがあることは幸せなことです」
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