27歳のラマン(仮名)*は多くを望んでいるわけではない。「普通の人のようにどこかの国の国民になりたいです。」ロマであるラマンはどの国の国民としても法的に認められていない。
彼は1987年バルカン半島がユーゴスラビア共和国の一部だった頃、コソボに生まれた。しかし彼の出生届は出されなかった。「あの時、出生届けなどの証明書の重要性について何も知りませんでした。それが私の人生にどんな影響を与えるかも理解していませんでした。」とラマンはUNHCRのスタッフに語った。
UNHCRはセルビアのNGOを通じてラマンが法的に認められ市民権を獲得出来るよう働きかけている。状況は少しは改善したものの国籍と、それに付随する権利の取得は課題として残る。
ラマンが1999年のコソボ紛争を受け家を追われたのは、11歳の時だった。出生証明書や国籍もなかったため、ラマン一家は避難先で教育や医療サービスといった基本的な公共サービスを受けられることが出来なかった。旅行に行ったり、仕事を見つける際も困難に直面した。
「苦難の連続です。警察から何度も呼び止められて身分証明書の提示を求められ、その度に逮捕や、罰金の恐怖に怯えるのです。常に恐怖の中で生きて来たんです。」と訴える。ラマンが抱える無国籍の問題は旧ユーゴスラビアで生まれたロマも含め世界で約1000万人が共有する問題だ。子どもの頃、ラマンはコソボで大変ではあったが幸せな日々を過ごした。
1999年6月、コソボ紛争が終結し、セルビア軍が撤退したのを受けセルビア人とロマ人が避難を始めた。ベオグラードでラマンと彼の兄弟はコソボの国内避難民であるという証明書がなく支援を受けるずに生きなければならなかった。
「成人に近づくにつれ、身分証明書がないまま生きるのがどんなに大変かを実感しています。」ラマンは子どもの頃身分証明書が無かったためや教育を受ける機会を失い、生活のため廃棄物を収集する仕事に多くの時間を費やした。ラマンは運転免許がなく2年間収監された経験がある。
コソボから避難した多くのロマはお金と時間がかかる出生届と市民権取得の手続きを行なう余裕がない。一部の人は申込みができることさえ知らない。
UNHCRはセルビアのNGOと協働で移民やロマを含めた少数民族の法的支援を行なっている。
支援を受けてラマンは2013年12月出生届を初めて取得した。しかし、それが身分証明書や、市民権獲得にはつながらなかった。
両親が市民権や居住地を証明する書類を持っていなかったためだ。2011年の調査によると、セルビアにいる約4,500人のロマは出生届や身分証明書がないことが分かった。
現在セルビア内務省はUNHCRのサポートのもと、ロマが直面している住民登録や身分証明書の問題を2015年末まで解決しようと取り組んでいる。
ラマンは市民権を獲得した時の夢をこう語る。
「自由に移動して、運転免許を取ることも出来るかもしれない。もしかしたら市営清掃サービスで仕事を得られるかもしれない。そして娘3人の父として正式に認めらて家族を養っていけるかと心配しなくていいんです。私の夢は水と電気が使える部屋を1つ持つことだけです。ただ普通の市民になりたいだけなんです。」
*難民保護の目的で仮名を使用しています。
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