インドネシア、メダン市、2013年10月23日発、
ロヒンギャ難民である、モハメッド・カリーム(仮名36歳)は、様々な理由から人生の約半分を避難生活のために費やし、いまだに家族と安心して暮らせる場所を見つけられてない。カリームは、ミャンマーのラカイン州北部モンドー県で生まれ育ち、建設業に携わっていた。「軍が大きなタワー建設に乗りだした時、私も駆り出され、食糧も賃金も支給されない状態で2週間働き続けました。ある晩逃走し、帰宅しようとしましたが、途中で父親に会い、軍が私を家に探しにきた事を知りました。父は私にお金を渡し、逃げろと言ったんです。」と語った。
1997年、当時19歳のカリームはバングラデシュ、インド、母国ミャンマーの首都ヤンゴン、タイなどをさまよい、その後マレーシアへと渡った。雇い主の支援もあり難民登録した上で5年建設現場で働いたが、嫌がらせを受け続けたという。逮捕、暴力を受けたカリームは、2008年にオーストラリア行きのボートが出ているインドネシアへと向かった。
40人ほどを乗せたボートは西ティモール、クパンで転覆した。「私を含め9人しか生き残らなかったんです。12時間海を漂流し、小さなインドネシアの島に辿りつき、命拾いをしました。」その後、ロヒンギャの女性と結婚するためにマレーシアへ行き、結婚後の2011年6月にインドネシアへ戻った。今年、3月に娘を授かった二人は、国際移住機関(IOM)が管理するメダン市にある公営住宅に住み、UNHCR難民登録証とIOMからの支援で生活をしている。
UNHCRはジャカルタで行われた地域会合で、カリームの様な難民を保護するため地域が連携するよう提案した。フォルカー・ターク国際保護局局長は、「難民問題の根本的な解決をはかりつつ、現在避難生活を送っているコミュニティでの生活支援をすること大事だ。」と語った。
難民受け入れ国は難民への基本な公共サービスと職を提供する事で、難民が何度も避難先を変える必要性を下げる事ができ、難民も受け入れ国に貢献する事ができる。カリームにとってミャンマーは帰れる場所ではない。「結婚して子どもも生まれた。生きて、人生の意味を見出したい。」。
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